1歳の時に、父の転勤でイギリスに行ったことが、人生で最初の海外です。
今でも時々、写真のように当時の記憶を思い出すことがあります。
今、自分が他国の文化が好きなのは、この体験からではないかと思っています。
基本的に、人とのコミュニケーションはあったようで、日本でも色々な幼稚園を転々としながら友達を作っていきました。特に、最後の幼稚園では1年しかいなかったのにも関わらず、しばらくお互いの家に行くほど仲良くなれました。
小学校は、小学校受験をしたので私立に通うになりました。お受験幼稚園に通っていた子達に囲まれた生活をしたため、自分のできの悪さを1年生にして悟った記憶があります。ターニングポイントとなったのは小学3年生です。担任の先生がとても好きになり、面接でも先生と二人三脚で勉強面・生活面を改善していき、自分に少しずつ自身が出てくるようになりました。3年生から6年生まで学級委員になり、自分の努力は身が結ぶ体験をし、努力することに抵抗感がなくなった6年間でした。
また、習い事として書道をやっていました。週に一回、4時間でも普通にこなしていたため、いつの間にか集中力が身についていました。
中高時代はバドミントン部に所属しました。私の中高のバドミントン部は区大会で1勝もできないような弱小校でした。私たちの学年から、強くしようと先輩方が頑張ってくださったのですが、いまいち自分たち自身は何をやったらいいのかよくわかっていませんでした。しかし、そんな部活に救世主のように現れたのが1学年下の後輩でした。彼女は今までバドミントンを地元の体育館などで経験しており、入賞経験もあるような子でした。その子の打ち方、動き方を爪の先まで真似できるように見続け、中学三年生のときには、ダブルス・シングルス・団体どの部門でも入賞できるようになっていました。しかし、当時はどの部門でも優勝をとれなかったことが、泣くほど悔しく閉会式もろくに覚えていないぐらい、悔しかった記憶があります。
部活に入った当初は、バドミントンの試合で1勝したいだったのが、いつの間にかバドミントン教室にも通うようになり、週二回のはずが週5回になり、優勝したいとまで思っていたなんて、振り返った今だからこそ、ものすごい変化だったと感じ取ることができます。この経験が今までの人生の中で、最も1つのことに周りのことなど考えずに熱中した経験であると言えます。
勉強面は、特に授業に集中していました。部活が日に日に忙しくなっていったため、授業中でどれだけ、内容を理解して頭に入れられるかにかかっていました。そのため、毎授業が戦いでした。
委員会は文化祭実行委員に所属していました。この委員会が自分の自己肯定感をさげたきっかけでもあり、自分の人生が大きく変わるきっかけでもあります。
この委員会は、学校で優秀だと言われているメンバーが揃う委員会で、私立の小学校に入った時と同等で、周りとの差に日々焦ってばかりだった。何でもかんでも全部1人でこなそうとし、失敗してばっかりだった。
しかし、その日々が変わったのが、最後の高校3年生の時である。高校3年生の時、委員同士で話し合った結果、自分が委員長をやることになった。初めは、自分が今まで失敗してきたこともあり、どうすればいいか全くわからない状態だった。しかし、同学年の委員が自分と毎日先生とのミーティングなどにつきそってくれるようになり、少しずつ人に対する頼り方を学ぶようなりました。