福島県(0〜3歳)
2歳ごろ熱性けいれんになる。けいれんを何度も起こしその時々に病院で入院していた。
この時はウルトラマンにハマっており、フィギュアを並べてドミノ倒しをする謎の遊びにハマっていた。この当時は足を見るだけでウルトラマンの名前を言えるほどの打ち込みぐあいだった。
愛媛県(3〜5歳)
幼稚園入園式の直前、友達と二人分の重さで左腕が曲がってくっつき、針金を入れる手術のため入院。今でも針金を入れた後は残っている。入園式の写真が腕をおっている状態なのはかなり印象的。
この時期弟が生まれたことに伴い、暇を持て余していた僕は、僕の原点となるムシキングと出会う。当時は父親と一緒にハマっていたこともあり、恐ろしいレベルのコレクターとなっていた。いまでもカードは大切にしまわれている。
兵庫県(5〜9歳)
小学校1年の時、川崎病により入院。この時の記憶は残っていてその時に家の中でかかってきた曲が今でもトラウマのようになっている。
川崎病入院時、ひましていた私にDSそしてポケモンを渡した病院の先生。ここから私はどっぷりゲームの魅力に引き込まれるようになる。
カードゲームはウルトラマンの派生である大怪獣バトルやドラゴンクエストのアーケードゲームにハマり、相変わらずゲーセンに通う日々だった。
北海道(9〜15)中3まで
小学生時代は初めて友達同士でやる系のカードゲームであるバトルスピリッツに友達たちとハマり、カードショップで毎日戦う日々。その他にドラゴンボールのアーケードゲームにもハマり相変わらずゲーセンには足繫く通っていた。
当時のバイブルはドラえもんであった。
またWiiが流行っていた時期でスマブラやマリオカートなどで家で遊ぶことも非常に多く、一番人生を楽しんでいた時期であるように感じる。
まだスマホをもっていなかった私は親のスマホを貸してもらい、7年間続けるパズドラに出会う。
部活はソフトテニス部に入っていたが、同期がうますぎてボール拾い担当として努力する。スポーツ自体は非常に好きで今でも続けている。
この時期にいじられキャラは確立された。
中学3年の時に暇があったことでアニメにドはまりし始める。
神奈川(15〜)
高校生になり北海道から離れた私は、ゲーセンに行く習慣も無くなりカードゲームもやらなくなっていた。その代わりに自分のスマホを手に入れたことでスマホゲームにハマりありとあらゆる人気タイトルに手を出すようになる。
部活は剣道部。下手だった。
アニメ友達も見つけ、カラオケやアニメ映画に行くことに生きがいを感じる日々であった。
高校三年生よりドンキーホーテにてバイト。現在も続けている。