마야(maya)
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ヒストリー

出身地

沖縄県 宮古島市

幼少期の暮らし、体験

出身は宮古島で1歳〜2歳頃に沖縄本島に移住。
本島の西原町という町で高校までの生活を経験する事に。
​保育園〜幼稚園までの幼少期時代は、落ち着きが無く、昼寝の時間でもずっと動いていたりするようなとにかく元気を有り余したかのような活発な子だった。

中学・高校時代

沖縄県立那覇西高等学校 2024年卒業
​中学〜高校では部活(卓球)に精進しつつ、地方大会出場や県内トップの団体優勝校になった事などを実績とし、勉強面では主に英語に力を入れ、中学生には英検を準2級の取得、高校では国際人文科に進学し、自分で英語の脚本を考えて発表する寸劇や、異文化理解等の外国諸国の問題や県内の基地の学生とも交流会を行い、海外遠征(この年は無く東京での留学生との研修旅行となった)や、5年に1度沖縄で開催される世界の沖縄系の外国人が世界中から集まる大イベント、「世界のウチナーンチュ大会」の案内役にも参加した。
その他ではSDGs等の諸問題を英語の教材に活用し、パワーポイントやポスター作成を通じて英語でのエクスプレッション、プレゼンテーションを行って来た。
そこで、放課後にずっと遊んでいたゲームか、世界のウチナーンチュ大会で経験したイベント力か、はたまた寸劇でほんのり齧った程度のお芝居かと考え、今在学中の東京クールジャパン、入試で落ちてしまったデジタルハリウッド大学の二択と考え、デジタルハリウッド大学を落ちてしまったら東京クールジャパンに進学すると3年の初めで進路を決める。

大学・専門学校時代

専門学校東京クールジャパン


入学早々まだ慣れない内に「EVO JAPAN」という格闘ゲームの世界大会のスタッフ応募がかかり、今の自分のスキルはこの世界でどこまで通用するのか気にかかり、新たなゲームへの道を触れようとすると共に、大舞台の圧巻の達成感や成功感を味わう一員となりたく応募し、スタッフとして派遣された。
その時感じた事や自分を見直した点、相手様との関係や必要な礼儀などを改めて教わる事になった。イベント後での招待で最終日観戦や先生・お相手様からの好評を頂いた時に、イベントに携わる感覚の楽しさと嬉しさを知った。今後もこういったイベントや交流会へのアテンドは大いに受け入れたいし、バイト先の上司も協力の体制を取ってくれるので、積極的に参加をできる環境である以上、体調に気をつけながら働きかけていきたいと考えている。

職歴

イベントスタッフ