藤本 悠花
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

山口県宇部市

幼少期の暮らし、体験

恥ずかしがりやでしたが、鬼ごっこなどが好きで、外で走り回って遊ぶのが大好きでした!

また、眼鏡をずっとかけていたので、目がいい友達が羨ましくてしょうがない時期でもありました。(最近はやっと、伊達眼鏡も悪くないと思えるほどに、眼鏡コンプレックスから脱却できましたが!)

この頃からやり始めたら完璧を目指してしまう性格で、漢字ドリルをやってくる宿題が出た時なんかは、マス目の点線を数えながらやってました。この性格のせいで、人よりも数倍、物事を達成するのに時間がかかっていましたが、この頃は特に気にしていませんでした。

中学・高校時代

中学生になり、小学校の卒業式で実行委員をさせてもらった経験から、人前に出るのも楽しそう!と、思うようになりました。“恥ずかしい”という感情の殻から抜け出せた私は、学級委員を務めたのち、生徒会選挙に立候補し、副会長として活動することになります。卒業式で答辞を読んだのは良い思い出です。

今思えばこの頃が一番、自分が理想に近づけた瞬間でした。

高校生になった私は、中学生の頃の栄光と、行きたかった高校に入れた喜びの余韻で、自分は要領が良い方ではないのに、少し怠けるようになってしまいます。これが私の泥のような日々の始まりでした。途中から頑張ろうと思っても、完璧を目指してしまうが故、時間が足らず、結局うまく理解できない。こんなことを繰り返すうちに卒業生になってしまいました。

大学・専門学校時代

周囲の反対を押し切り、私は自分のなりたい自分となれるように、“リセット”をすることにしました。それは、予備校に入って、一から大学受験に向けて勉強し直すというものです。泥の3年間を巻き返すために必死だったので、1年間、予備校の開いてないお正月以外の毎日、朝7時に家を出て帰るのは11時という生活を繰り返しました。

今でも、社会と断絶して自分を磨いたこの経験は、何もかもに自信を無くしていた私を立て直してくれた宝物です。浪人することに最後は賛成してくれた両親、また、共に戦い抜いた友人にはとても感謝しています。

また、浪人して成功するとは限らないと反対する先生方もいますが、“成功”とは大学に合格するという意味だけではないという事を私は自身の経験から言いたいです。

そして遂に、志望していたところではなかったにしろ、晴れて大学生となれた私は、小さい頃から好きだった“ものづくり”の世界の崇高な存在“建築家”となるため、また、中学生の頃を超える“なりたい自分”を目指し、奮闘中です。最近はTOEICを極めることにもはまっています!

泥の3年間を笑い話にできるくらい今を全力で過ごし、最大限の努力をしていきたいです!

もし最後まで読んでくださった方(いるのかな?)がいれば嬉しいです!

ありがとうございました!