幼稚園は卒園できず、卒園証書をもらっていない。
年長組のお泊り保育もひとりだけ泊まることができず、うちに帰って朝また
幼稚園に行く、という内向的な性格で、恥ずかしがり屋だった。
小学生になっても基本、変わらず。卒業はできた。
小学生の時、中学の近くにあった高校進学塾に入る。
当時は福岡でM修学館といえば、相当スパルタな塾として有名だった。
塾といっても寺小屋みたいな所で市場の集会所の2階で、破れた畳に座って勉強させられた。
あとで分かった事だけど塾のふたつ下に、ソフトバンクの孫さんがいた(そうだ)。
中学に入ると少しだけ外交的になってきた。
高校受験は私立に落ちたので、第二希望の県立高校に入学。
遊んでばかりで、勉強はした記憶がない、中洲の映画館によく行った。
なぜか興味があったのは時代劇と寅さん。
時代劇俳優になりたいという夢があり、太秦の撮影所のなかのプロダクションに入れてもらってひたすら役者修行を3年半。
役者は無理と言われ、小道具、大道具をやるも、芽が出ず時代劇俳優を断念。
当時流行りだした「極真空手」の道場にも自分の意志で通い始める
自分でもびっくりするくらい、いろんなことにチャレンジし始めた時期。
京都支店、調査センター、宇都宮支店、財団資本市場研究会、総合企画部、調査部、エクイティ部、エクイティトレーディング部、営業企画部と経験して会社が2000年に合併して退職。
インフォメーションディベロプメント社に上場準備のために転職
ID社の幹事証券が前職の会社で、担当役員が元の上司で、グループの3社合併で設立するシステム子会社に戻ることを勧められて、つい「はい」とついていく。
2002年1月に日本証券テクノロジー 人事部に入社
9年間 人事業務をやり2010年、早期退職して株式会社学生就職支援会を設立。
主に大学に軸足を置いた就職支援業務に取り組む。
2018年6月 クインテット社に社員(扱い)としてジョインして現在に至る
財団に学生のための社会人教育に資するサービスやコンテンツを取り入れて、学生や若者が活用する基盤を構築することが目標。
なにより自分自身が生き生きと仕事に取り組めていることに感謝、
このこと、つまり63歳を超えてもやることに夢中で取り組み、楽しく仕事をしている事を直接、伝えたい。
だれもが仕事を通して幸せになって欲しい。