栗田 亜也乃
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

幼稚園の頃は足が不自由で歩行器を使い歩いていました。それでも外で遊ぶことが大好きで、鬼ごっこやかくれんぼ、本を読むことが好きな明るい子でした。小学3年生の頃までそのような感じだったと思います。

小学4年生の6月頃、体調が悪くなり1週間ほど休みました。次の週になり登校しようと思ったのですが、7日間も太陽をほぼ浴びず布団にこもっていたためか、思考が悪い方に向き、
「なんで1週間も休んだの?」
と言われることを想像し、怖くなりました。
それが日に日に悪化していき、結果不登校になりました。始業式や終業式、卒業式などの重要な行事を除きほとんど登校していません。

中学・高校時代

不登校は中学になっても続きました。
当時の先生に相談し、最悪の場合登校できなくても大丈夫な通信制の高校に通うことになりました。
ただ、卒業後の進路について考えたときに通信のままだとまずいと思い、最初は週1日から始め、週3、週5と増やしていこうと考えました。
そして入学してから2年の途中まではデザイナーではなくプログラマーになろうと思っていました。しかし2年の10月頃、あることが起こりました。私が通っていた高校には、プログラミングや電子工作、イラストを描くなど、自分のやりたいことを事前に申告し、それらをできる時間がありました。なんとなく日常で使えるカレンダーでも作ってもみようかなと思い、Adobe Illustratorを使い作り始めました。すると、細部まで作ることが楽しくて今までに無いくらい夢中になることができました。
そして週5回登校の時、その日何を勉強したかを報告しあう時間があったのですが、その際他の生徒から色彩検定の存在を知ることができました。そして8月頃から勉強を始め、12月の試験で3級に合格することができました。
週5回登校の際、一日中好きなことを勉強できる時間があったため、高校に在学しているうちに色彩検定の2級を取得しようと思いました。専門学校に通い始めたら忙しくなり資格の勉強をする時間が減ると考えたためです。1月から卒業まで資料を使い繰り返し勉強し、過去問の正解率が70%以上になりました。

大学・専門学校時代

入学して2ヶ月後に検定の本番があり、無事合格しました。