幼少年時代は、炭鉱町に生まれ石炭全盛期で繁栄したました。今では考えられない共同風呂があり、炭鉱に人たちが仕事を終え、一風呂あびますが、当然男女共同風呂の為に全てが裸(男女関係なく・・・当然ですねお風呂ですから)
小学校も1000人はいたでしょう。中学校も12~15クラス 総勢140位です。運動会も人人人で大混雑・・・・・昔が懐かしいです、
遊びはボタ山に登り当然高いビルなど一切なしで見晴らし一望。夜は満点の星空:天の川がきれいに見えてました。・・・今と全く違う。空気もうまく水もうまく、人も暖かく思い出の時代でした
中学校は、徒歩30分位。炭鉱全盛期の為に人人です。全校1500名。
特に思い出は無し・普通の中学生
高校は、列車で約15分位の工業高校化学専攻。大半が男で約全体の1%が女性でした。化学先行で、成績も上で最高全校で2番。・・・思い出は、2年上の先輩(女)ともデート。登校帰りの田んぼ(稲刈り終わり、藁積みでの初キスでした。・・・終わり
大学は行きませんでした。近くの大学(私大)の受験を受けて、高校の先生から物理と科学が満点と言われましたが、断念して就職へ。 アルバイトで近くゴルフ場へ。。アルバイトから正社員で約7年務めました
ゴルフ場勤務中、勉強して旅行業務取扱管理者(国内)を受けて合格。合格すれば当然目指すのは旅行会社です。たまたま新聞で募集があり応募し、合格し。旅行営業からかれこれ40年です。国内・海外と沢山の添乗をお客様と行きました
初めての添乗がハワイ。2番目が韓国。(カルチャーショッくです)一が良すぎました。天国ハワイ(その時期は最低旅行代金約30万くらいはしてました)。2番目の韓国は日本の戦後時代と変わらず、日本語看板沢山有り日本語話す韓国人の方も多くいた。良い思い出も沢山したし楽しい時代。台湾・中国・香港・マレーシヤ・シンガポール・ベトナム・タイ・スリランカ・カナダ・ハワイ・アメリカ・スペイン・フランス・スイス・ベルギー・オランダ・ニュージランド・オーストラリア・トリコなどお客様がいての楽しい添乗です。幸い事故や怪我はなく無事に帰国。でもトラブルは当然あります①荷物が出てこない②遅延③結構④ストライキ⑤ガイドが来ない⑥入国拒否など・・・。楽しかったです。今年で65歳となり添乗業務はなくなりましたが、機会があれば東欧や北欧、インド、中東にも行きたいですね。