羽倉光希
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ヒストリー

出身地

愛媛県今治市

幼少期の暮らし、体験

母親大好きな女の子。小さい頃は人見知りで、幼稚園に行きたくなかった。

少しずつ幼稚園に慣れ始めると、好奇心旺盛になった。

友達が通っていた公文に5歳から通い始める。

中学・高校時代

宇宙飛行士になりたくて勉強を頑張ろうと思い、地域の中では進学校だった私立の中学校に通った。

周りのレベルもめちゃくちゃ高くて、必死に勉強してた。でも全然苦しくなかった。むしろ、目輝かせながら頑張ってた。あれはなんだったんだろう?

高校は文武両道を掲げる公立高校に進学。代表として、宣誓文を読み上げたのは少しだけ誇り(笑)

でも、その分プレッシャーもあった。


部活はボート部に所属。甲子園常連校の野球部に次ぐ忙しさと言われる、ボート部。

自分が漕ぐことで景色が変わる面白さ。魅力溢れるコーチと先輩。

ここで3年間過ごしたら絶対に充実する。しんどいのはわかってる。挑戦しよう。

そう思って始めた。

皆0からのスタートだったが、2年春頃からだんだんと力に差が出てきた。

高い目標を掲げ努力し続けた同期2人がずば抜けて速くなり始めたのだ。

選抜大会優勝、インターハイ優勝、日本代表でアジア大会優勝。

どんどんタイトルをとっていく同期が誇らしくあったが、自分の中ではぽっかりと穴が開き始めた。

同じ練習をしてきたはず、一緒のスタートはずだったはず、、、。

私はこなすだけになっていたかもしれない。目標はなんだった、どこを目指してた、ハングリー精神はあった?

全力でやり抜けたとは言い切れない、高校時代。


大学・専門学校時代

はやぶさに憧れて、誠一郎先生がいらっしゃる名大へ。

友達もほとんどおらず、0からの大学生活。

ラクロスの新歓がこれはこれは楽しい。先輩も面白い人たちがたくさん。

目標は学生日本一。びびっときた。高校の時、四国大会止まりだった私。

まだ見たことない日本一の景色を。同期の見た景色を追い求めて。男子ラクロス部に入部。

存在意義を見失う1年秋。

日本一を少し近くに感じられたけど、高い壁があることも目の当たりにした2年夏。

崩れ落ちる選手を応援席から見る悔しさを感じる3年秋。

ついに、最後の年。昨今の状況で3ヶ月半ぐらい、部活ができていない。

悔しいなあ。でも、どの部活も一緒。自分たちができることを。