あすか
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ヒストリー

出身地

愛知県

幼少期の暮らし、体験

パスタを耳に突っ込んだり、ストーブの上に手を置くなど...、なかなかすごいことをする子だったと聞いています。また保育園では友達に取り合いっこされていたとよく思い出話をされました。おままごとしよ!プリンセスごっこしよ!と引っ張られていたそうです。その頃から何かに偏った意見ではなく、中立という立場を好んでいたのかもしれません。そんな冷静さの反面、家の中、親の前では寂しがりやで、夜も両親がいなくなると寝付けないことがたくさんありました。しかし、幼い頃からおもちゃをねだったり、欲しいものを表にすることが少なく、両親は我儘を言わない子供で困ったと言っていました。こうして欲しいと表現したい自分とそれを隠そうとする自分が幼い頃から身に染み付いてしまったのだと思っています。いい意味でも悪い意味でも周囲に気を使うことを早く覚えた幼少期でした。

その子供らしくない部分を壊してくれた場所が、小学校へ上がってから通いはじめた学童保育でした。弱肉強食、喧嘩は日常茶飯事、リーダーシップを発揮する高学年、そんな環境で人への配慮ももちろんですが、自分の意思を出すトレーニングをたくさんしていたのだなと、今となっては感じています。学童での生活もあってか、私自身も学童内だけでなく、小学校の生活内でもリーダーシップを取ることを意識するようになります。クラスの代表委員や運動会の応援団長をしたのはその現れでした。

また幼少期から絵を書くことが好きだったので、読書感想画コンクールなどに出展し、何度か表彰されました。絵を描くことが好きなのと、するからには勝ちたいという強い負けず嫌いの精神が働き、毎年のように出していました。表彰されるたびに、自分の絵を褒めてくれて、誰かが見てくれると思うと気持ちがよかったのではないか、と振り返っています。

中学・高校時代

基本的に小学校までの私は無敵でした。何をしても褒められて、友達も多く、なんとなく中心にいつもいるような存在だったからでしょう。それが中学へきて、突然居辛さというか、周囲に合わせなくてはならない感覚を覚え、周りをより気にするようになりました。幼少期の気を遣っていたのは、自分の行動が周りに迷惑をかけていないか、でしたがこの時は周りにいかに自分をよく見せるか、敵を作らないかを気にしていた気がします。より自己主張をしなくなりました。

しかし学童で得たリーダーシップ発揮したい精神は中学高校でも変わらず、学級員、学年、代表生徒会執行部など、いわゆる代表的なポジションにとことん執着心を持ちはじめました。名前だけが欲しかったわけではなく、誰かの為になる行動がしたかった、かつ誰かに必要とされたかったという思いが裏にはあったと思います。その為仲間やクラスメイト、先生方からの信頼もかなり厚い方でしたし、部活と学業と生徒会活動と両立をしていたので、すごい人だと思われていました。それが心地よかったのでしょう。

また高校でも生徒会活動にこだわり、学業でも3年間を通して常にトップにいるような模範生徒でした。(自分でいうのもなんですが、本当にそうでした。)このモチベーションは高校受験で第一志望に行けなかったことで生まれました。私立に行くことになり、親に経済的迷惑がかかってしまう、という申し訳なさと、受験勉強の努力が報われなかったこと、その八つ当たりも要因の1つでした。そこで学内でできることは全部活用しようと入学前から決めており、任意の特別講習やインターンシップ、短期留学、ネイティブスピーカーとの個人レッスンなど隅から隅まで高校が提供してくれるものには、手を出しました。

もちろん生徒会活動でのイベントや、学園祭の実行員など生徒主体で動く活動にも取り組みました。ちょうど戦後70年になる年に、毎年行なっている戦没した先輩方の慰霊祭を特別なものにしよう、選挙権が高校生にもくるから、模擬選挙イベントをしよう!など、かなり政治的な活動も行なっていました。なぜあんなに熱を持って取り組めていたのか、正直謎でしたが、特別なことをしているという感覚が嬉しかったのかなと思います。歴史をつくる当事者としてすべきことだ!とも思ったいましたが...。そんな中でもやはり嬉しかったことは、全然知らない後輩が挨拶をしてくれたり、頑張って!と声をかけてくれる友達がいることでした。高校を去っても先生方や後輩からは伝説の生徒会長だと言われていたり、謎めいていますが、影響力がとても大きい人間だったということはわかりました。さらにそれが活動の内容どうこうではなく、私が一生懸命何かに取り組んでいる姿を見ていた人たちがそう語ってくれていると、気づきました。

ここ6年間で大きく変わったのは、自分が何かをできているから心地がいい、のではなく、承認を得られることが心地よいと思うようになったことです。また自分の性格をありのままではなく、こうでなくてはという理想によって作っていました。なので息苦しいこともありましたし、それによって素が出せず悔しい思いをしたことも少なくありません。そのせいか、人に頼ることがかっこ悪いことだと思いはじめ、1人で何かをすることが多くなりました。仲間からなんども俺たちを頼れよ、とか1人じゃないってと声をかけられたのを覚えています。自分の失態を誰かに見られると、がっかりさせると思っていたから、こんな性格になったのだと思います。

自分の才能の面でいうと、絵を描くことから文章を書くことに代わりました。演説や、人に見せる文章を書く機会が増え、読みやすい文、引き寄せられやすい言葉を選ぶようになりました。その結果と先生からの信頼もあってか、中学の卒業式では卒業生代表として答辞を任され、体育館中を涙でいっぱいにしたあの数分間は、今でも私をサポートしてくれる思い出です。