どちらかというと友達も多くて班長などの役職を好んでやっていた。運動が嫌いで休みの日はほとんど家の中で過ごしていた。小学6年生の時に今の趣味でもあるユニット折り紙に出会いのめり込む。
生まれ育った葉山町が海と山に囲まれていたことや、大のキャンプ好きの両親に小さい頃からキャンプに連れて行ってもらったおかげで、自然と触れ合うことは大好きに。
中学1年生の一年間だけ父親の仕事の都合でシンガポールへ移住。多様な文化が織り成す社会や、出会った人々にたくさんの刺激をもらった。それと同時に、日本の良さも実感し、日本の伝統や日本ならではの風景に興味を持つようになった。
帰国後地元に戻ったが、一応転校生だからと大人しくし過ぎて自分から進んで前に出ることが出来なくなってしまった。
高校は周りの頭の良さに圧倒され一時期勉強を諦め、ひたすら吹奏楽部の活動に熱中していた。2年・3年のクラスが陽キャの塊のようなクラスであまり好きではなく、負けたくないという思いで勉強に再び熱が入り、無事受験は乗り越えられた。
いわゆる「古き良き日本」の風景を守りたいという漠然とした思いから、地域コミュニティや地域活性化に興味を持つ。第1志望は早稲田だったが綺麗に落ちたため地域社会学を専門とした先生がいるところに進学しようと思い、立教の社会学部へ。
少子高齢化を始めとする多様な社会問題に触れ、「日本はお先真っ暗だ」という不安が大きくなり、、自分に出来ることをやりたいという気持ちも強くなった。