小さい頃は電車が大好きで、将来の夢は電車の運転手以外考えられなかった少年でした。
親の転勤で中学入学時に埼玉から大阪へ引っ越す。部活はバドミントン部に入るものの、ほとんどオフがなく厳しい練習だったため、部活中心の生活となり鉄道とは距離を置き始める。学校生活では生徒会に立候補して、図書委員長、副会長になり、リーダーシップをとることの難しさと楽しさを知る。
高校では学力とバドミントン部の強さで選んだ四條畷高校に進学する。レベルの高い授業とクラブを両立するのに苦労する。この時でも未だに鉄道関係の仕事につきたいと思っており、電車の運転手になるのに有利な高卒での就職を考えていたが、ほとんどが大学進学する高校だったので担任に驚かれる。クラブではキャプテンに指名され、これまたクラブ活動中心の生活が続く。多忙で責任の問われる役職に病んだ時期もあったが、レベル別の練習メニューを導入し、府大会の団体5位、公立団体3位の成績を残す。個人戦でもダブルスで地区大会優勝、公立大会準優勝の成績を残す。
台湾への修学旅行の際に、空港の楽しさと飛行機から見える景色、パイロットのかっこよさに魅了されて航空業界を志望するようになり、大学進学を決める。
高校の課題研究の授業で日本における多言語表記の問題について調べている際に、「国会」を表す英単語が日本では"diet" アメリカでは"congress" イギリスでは"parliament"となっていて、この違いが多言語表記において問題を起こしていることを知る。そして、これが言語とその言語の成立の背景にある文化によるものだと知り、このことについて研究している教授がいる大阪大学を志望するも不合格。外国語学部を設置している神戸市外国語大学に進学する。
CHISEに所属していた高校時代の先輩に誘われ、ボランティアにも興味があったのでCHISEに入る。入る前にファクトフルネスという本を読んで、自分の目で実際に世界を見てみたいと考えていた。また、中学生のときの恩師でもある部活の顧問がベトナムで子供達に日本語を教えていることも影響した。