さく
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ヒストリー

出身地

愛知県岡崎市

幼少期の暮らし、体験

人一倍感受性の強い子どもだったように思います。苦手なことが多く、ハードモードな幼少期でした。小学五年生で転校し、吹奏楽に出会いました。そこから中学三年生までは、吹奏楽漬けの日々を送ります。

中学・高校時代

吹奏楽漬けの日々を駆け抜け、高校は地元の女子校へ進学しました。しかし、思春期をこじらせ(?)、学校へ行けなくなりました。一年間の休学のち復学を経験しました。復学後、学校の一大行事を支える実行委員会の募集掲示をたまたま見かけました。「人生が変わった」「尊敬する仲間に出会えた」と書かれており、自分を変える思いで所属することを決意。

実行委員会は行事の裏方です。特別勉強ができること、特別運動ができること、特別なスキルはなにもいりませんでした。そこでは「かゆいところに手が届く」人間になるための学びが沢山ありました。日々の活動が自分の肥やしになっていく実感がうれしく、今度はみんながのびのび成長できる実行委員会をつくる、恩返しをすると決め、三年次に実行委員長を務めました。同時期に大学受験も控えていたため、ハイリスクな二足のわらじをはいていました。

もうひとつ。高校二年の終わりに、部活動の一環としてフィリピンへボランティアへ行きました。スラム街の光景、そこに住む人々の顔、ゴミ山の向こうに見える高層ビル群、鮮明に覚えています。物質的な豊かさと心の豊かさは必ずしも一致しないと知ったのも、幸せの尺度は人それぞれ異なることを知ったのもこの頃です。

いろいろな境遇にいる人たちのそれぞれの幸せを守りつつ、安全で豊かな生活を考えたいと思い、まちづくりを勉強できる大学へ進学することを決めました。

大学・専門学校時代

大学入学後は、興味のある地域貢献事業団体に片端から所属しました。外国人小学生やその親御さんと一緒に勉強したり、廃線危機にある沿線地域の活性化を考えたり、いろいろ経験しました。

二年生になり、今所属しているトラい☆いわたしの副代表を務める事になりました。そんな中、新型ウイルスの流行で自粛を余儀なくされ、全ての活動をオンライン上へと移行しました。

私たちの団体は静岡県磐田市における魅力発信、多世代交流を軸としています。コロナ禍の今学期は、ジュビロ磐田ホームタウン部様のご協力のもと、磐田市の団体やお店、企業に繋いでいただき、オンライン取材を行いました。((ただいま、取材をもとに発信活動の準備中です。))

副代表の役割とはなにか、団体に所属するみんなにとってプラスになる活動がしたい、と悩みながらも素敵な仲間に囲まれ充実した日々を送っています。

でもそろそろ、この大学にきた理由である「いろいろな境遇にある人の幸せと人々の安全で豊かな暮らし」をさらに深く追求していきたいな。そんなふうに思っています。

職歴

大学生