奥村美希
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ヒストリー

出身地

長崎県

幼少期の暮らし、体験

長崎県長崎市で生まれ、平戸で育ち、3歳の時に福岡に引っ越しました。
三人兄弟の末っ子で可愛がられていましたが、かなり人見知りの恥ずかしがり屋で、この頃からコミュニケーションを取る事がとても苦手でした。
ただ、泣くことは少なくて、とても元気な女の子でした。
今思えばお世辞だったかもしれませんが、先生にはよく、「とても良い子で優しい心を持ってます。」と褒められていました。

小学校4年生の時、父親の転職で当時住んでいた社宅から隣町に引っ越しました。隣町だったので、新しい学校でできた友達と遊ぶのはもちろん、前の学校の人ともよく遊んでいました。

中学・高校時代

福岡県立福岡工業高校 2019年卒業
​原中央中学校に入学。
​どの部活に入るか悩んでいたところ、友達に誘われてテニス部に入部しました。ルールも分からないし、ラケットを握ったこともなかったので、打てるようになるまで素振りの毎日でした。その後レギュラーに選ばれ、ペアの子と切磋琢磨に頑張りました。
2年生の体育祭で太ももを肉離れしてから、怪我多くなってしまい、なかなか試合にも出れませんでした。

入学してからずっと体育委員をしていたこともあり、2年生の後期に生徒会の保健体育専門委員長に立候補しないか先生に勧められ、オーディションに合格し見事就任することが出来ました。
生徒会の活動はとても楽しく、メンバーみんなも仲が良かったため、集まりがあった時や、イベントで活動する時はとても幸せでした。
​ですが、活動が忙しかったこと、怪我を何度もしてしまうことで、なかなか部活に行けなくなってしまい、3年生になる前に部活を辞めてしまいました。ただ、テニスは大好きだったので、夜にできるテニスのクラブに入りました。週に1回~3回通って、高校三年生まで続けました。

3年生の最後の体育祭では、オーディションで副ブロック長にも合格し、両立はとても忙しく大変でしたが、何とか乗り越えることが出来ました。
新型コロナウイルスが流行し、突然休校になったり、卒業式が短縮で行われたり、最後の方はあっという間でした。
辛いことも沢山あったけど、それよりも楽しかったことが多かったし、先生や友達が大好きでした。

福岡県立福岡工業高校 染織デザイン科に入学。
新型コロナウイルスにより、自宅学習で学校に行けず、6月からやっと全員揃って普通登校で通い始めました。​
​運動部希望でしたが、工業高校で女子の部活が少なかったこともあり、写真の部長と仲良くなったことをきっかけに写真部に入部を決めました。最初こそただ撮って満足していましたが、自分でカメラを買ったり、設定を変えたり、人に見せても恥ずかしくない写真を撮れるぐらいに成長することが出来ました。写真部に入れて良かったと思います。

初めて学ぶ専門教科に苦戦しながらも、毎日勉強を頑張っていました。特に検定の勉強は難しく、友達によく教えあいをしていました。
​実習では、織物を織ったり、布を染めたり、額縁を作ったり、Illustratorを使ったりなど、今まで体験したことのないことが沢山ありました。

体育祭での先輩の指導は、学校を辞めたくなるぐらいすごくきつくて苦しかったです。歳の近い人に怒鳴られることは無かったので、とても怖くて、学校に行きたくないと毎日言っていましたが、その分可愛がってもくれていたので、必死に頑張りました。特に可愛がってくれていた先輩は、私が大きな声を出しすぎて声を枯らしていることに気づき、いつも褒めてくれました。この時、私はこんな先輩になりたいと憧れていました。高校を卒業した後も連絡をとっていますが、ずっと可愛がってくれています。
3年生になった時、私は団員になることができ、体育祭でみんなを指導する側になりました。団員の中で不満が募り、大喧嘩をしたこともありましたが、その度に話し合いをし何とか乗り越えることが出来ました。正直、この時期が人生で1番辛く、体育祭を終えた日、「もうみんなが喧嘩をすることがないんだ、やっと終わったんだ。」と嬉しくて涙が止まりませんでした。今ではそれも込みでいい思い出です。

高校でIllustratorを学んだことから、デザインの仕事に興味を持ち、オープンスクールに行った結果、今通っている九州デザイナー学院に入学することを決めました。

大学・専門学校時代

専門学校九州デザイナー学院
2023年専門学校九州デザイナー学院 総合デザイン学科に入学。

IllustratorやPhotoshopを学び、プロのデザイナーになるために頑張っています。