白木 萌花
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ヒストリー

出身地

佐賀

幼少期の暮らし、体験

​外で遊び回ったりするのがとても好きな元気な子どもでした。
​幼少時代から何かをつくることが好きで、よく砂場で砂の山を作ったり、粘土遊びをしたりしていました。
​この頃の夢はパティシエだったので、自分の考えたケーキの絵などを描いては親に見せていました。絵自体はとても下手だったのですが、どんなケーキが美味しいかな、可愛いケーキはどんなものなのかな、こんなケーキを作ってみたい! という気持ちを持って想像を膨らませるのはとても楽しかったことを覚えています。
​小学時代では、勉強は苦手でしたが、図画工作の授業は大好きでそれのために学校に行っていた節がありました。
​1番記憶に残っているのは、発泡スチロールと紙粘土と持ち寄った材料を使って自分の世界を表現するという授業です。作るのはもちろん楽しかったのですがそれよりも、自分の作ったものがコンクールで入賞したということが1番嬉しかったし、自分が作った世界を 好き と言って貰えている様でとても感動しました。

中学・高校時代

中学では特にこれといったことはなく、帰宅部でした。
​中一の頃クラスで思い出冊子を作る際の表紙を描かせて頂いたのですが、人に見せるのが恥ずかしいくらいには下手だったのでそこで1度打ちひしがれました。
将来の夢を決めなければならない時、自分が何をしたいかと考えた時の脳内には、「絵を描きたい」ということしか無く、将来の夢は イラストレーター という形になり始めてきました。

高校では、美術部に所属しました。
​スケッチ大会やデッサンの大会に参加したりしましたが賞はなかなか取れず、唯一取れたのが最後のスケッチ大会での佳作でした。ここでもっと練習していれば、自分がやる気を出していれば、と後悔しました。が、少しだけ 自分は本当に絵を描くことが好きなのかという疑問にぶち当たりました。
気持ちそのまま夏、最後の体育祭でのパネル制作に参加をさせてもらいました。責任者として。
​友人と協力し、夏休み後半を使い制作をしました。
ここで学んだのが、報連相の大切さです。学年の違う人たちも居たので、連絡を怠ると作業に遅れが生じたりしたので些細なことでも連絡することは大切だなと思いました。
責任者としての重みはありましたが、大きいパネルに自分たちの作品がでかでかと完成されるのを見るのはとてもワクワクしました。歌って踊って友人と議論し、パネルにペンキを塗る作業は、制限された高校生活での1番の青春だったと私は思います。
結果として、選ばれることは無くパネルを飾る日も生憎の雨でした。入賞するのが1番だと思うのですが、それよりも何よりも制作中の思い出が良かったので、悔しい思いはしましたがとても楽しかった思い出として残っています。