金井 菜々美
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ヒストリー

出身地

神奈川県 藤沢市

幼少期の暮らし、体験

​幼稚園時代に書いていた絵日記をきっかけにイラストを描くことが好きになる。最初はトイレのロゴの様な肩のない簡易的な絵から始まり、人間には肩があること、耳があること、関節があること等を両親から教わる。
また、幼稚園の先生方が休み時間の度にピアノを弾いてくれることから憧れを抱き、6歳の頃からピアノ教室に通い始める。このことがきっけけで楽器や歌、音楽が好きになる。

小学1年生の頃、長期休暇の課題でウサギや大樹の絵、ラーメンの絵などを父親に教わりながら水彩絵の具で描く。その作品がクラスで話題を呼び、水彩絵の具の楽しさに目覚める。
小学3年生の頃、兄の影響から初めて深夜アニメの存在を知る。そこから兄の本棚を頻繁に物色するようになり、4コマ漫画、ライトノベル、コミカライズ作品、青年漫画等を読み漁る。この頃に出会った『灼眼のシャナ』『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』に強い影響を受ける。
小学4年生〜6年生の頃、市の小学生が書いた作品を選出して作成される文集『わかふじ』に3年連続で作品が掲載される。2年生の頃に掲載を逃した悔しさも相まってとても嬉しく感じ、文章を書く楽しさに目覚める。
5年生の頃、母方の祖母がやっている『新日本舞踊』に興味を持ち、祖母に弟子入り。以降デザイナー学院に入学するまで新日本舞踊を習う。その際に舞踊や着物という文化に惹かれ、着付けも習うように。祖母には主に男踊りを教わり、機会があれば舞台に上がった。
6年生の時には“修学旅行の思い出”というテーマで絵を描いた授業で、市内各校から作品が出品され展示される『あすにのびる子ども展』に学校代表として出す作品に選ばれる。その際に貰った参加賞(賞状)は今でも部屋に飾っている。

中学・高校時代

飛鳥未来高等学校 2022年卒業
中学生になってからは美術部に入部。透視図法やクロッキー、デッサン等に初めて触れる。誕生日プレゼントに100色色鉛筆を貰い、鉛筆画や水彩画、アクリル画、色鉛筆を使ったイラストをよく描くようになる。
しかし人間関係に悩みを抱え1年生の後半から学校を休みがちになり、2年生の秋から本格的に不登校となる。家でも塞ぎ込み、家族との仲も険悪となってしまい、度々自殺を考えるようになる。結局、不登校になってから中学を卒業するまで絵に触れることは一切無かった。
しかし、引きこもり生活を送りながらネットで好きな作品の二次創作小説を連載し、思わぬ高評価を貰い物語を創作する楽しさを知る。これ以降、一次二次問わず物語の設定をよく作るようになる。

​通信制の私立高校へ進学。遅れた勉強を巻き返す為に勉学に励むようになる。1日5〜6時間の勉強をし、成績は常に上位をキープできるよう意識した。通信制だが登校型のコースを選択した為授業を受けに学校へ通い、集団の中にいると発症してしまうストレス性の症状をある程度克服する。
1年生の頃には体育祭の装飾係となり、応援団が着用する法被のデザインを考え絵の具で作成する。また、健康面にも興味を示し食生活アドバイザー3級の資格を取得する。
2年生では進路について本格的に考えるようになり、ITパスポートの資格を取得。また興味がある様々な専門学校へオープンキャンパスに行き、将来について悩む。この頃になってようやく再び絵を描くようになり、好きなことで生きていくとした時、イラストレーターになるのか、小説家になるのか、漫画家になるのか、栄養士になるのか、着付師になるのか、音楽の道に進むのか、芸や舞踊の道に進むのか…それぞれを専門とする学校へ行き体験授業を受け、東京デザイナー学院の雰囲気が肌に合っていると感じ入学を決意。自分が作った物語を人に伝えることを考えたとき、絵と文章の2面から表現することができる漫画家になることを志す。
​3年生では自動車学校に通い普通車の免許を取得。冬には二次創作(イラスト・漫画)活動を本格的に開始し、カラーイラストの技術向上に努める。
卒業式では勉学に励んだことが功を成し、全国成績優秀者賞を受賞。

大学・専門学校時代

東京デザイナー学院
入学してからは漫画制作に必要な知識、技術を学び、人生で初めてとなる作品制作も行う。そこで見えてきた自分に足りない部分を補う為に、現在も技術向上に邁進している。

職歴

高校2年生時に郵便局の倉庫でピッキング・梱包といった仕事を3ヶ月の短期アルバイトとして行う。