キムヘソル
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ヒストリー

出身地

韓国(仁川)

幼少期の暮らし、体験

아직까지는 핸드폰이 보급되지 않은 시대였기에 학교가 끝나면 친구들과 밖에서 
뛰어놀던게 일상인 시절이였습니다. 곤충을 잡거나 눈사람을 만드는등 활동적으로
밖에서 뛰어놀던 시대였습니다 부모님이 늦게까지 일로 밖에 계셔서 비슷한 처지의
친구들과 보내는 시간이 많은 시절이였습니다.

まだスマートフォンが補給されでない時代だったため学校が終わったら
友達と外で虫取りや雪だるまなどを作りなど、活動的に外で遊ぶのが
日常だった時代です、両親が遅くまで仕事で家に帰らなかったので
同じ立場の友達と時間を送るのが普通だった時代です。

中学・高校時代

6년이라는 초등학교 시절을 끝내고 새로운 학교에 들어가서 새로운 친구들을
만나는 시절로 이떄부터는 학교가 끝나면 온라인 게임등으로 친구들과 놀던 시절
입니다. 아직까지 공부에는 흥미를 느끼지 못했기떄문에 아직까지 무언가를 열심히
한적이 없었으나 고등학교에 들어가서전공을 정하고 공부하기 시작했습니다마.
이당시 정했던 전공은적성검사로 나온 전공을 그대로 따라 갔었으나크게 흥미를 
느끼지 못했고 이때부터 일본문화에 흥미를 가지고 일본어를 공부하기 시작했습니다.

6年と言う長い小学校が終わり、新しい学校に行って新しい友達を作る時期でした。
放課後は友達とオンラインゲームなどをしながら遊んだ時期です。
まだ勉強に興味がなくて、相変わらず何かを一生懸命やろうと思ったことがありませんでした。
その時、適性検査で出たことを専攻にして高校に入りましたがそんなに興味を
感じて無くて、その時期楽しんでたアニメやゲームのために日本語の勉強を始めました。

大学・専門学校時代

高校生の時に一人で始めた日本語を今よりももっと専門的にやりたいと思い
大学の専攻として決めました。そして大学で日本語を専攻に選ぶことになりました。
その時期は言葉は口にしないと意味がないと思い学校にいらっしゃた日本人の先生と毎日口で話す練習を繰り返しました。発声や発音を何回も 練習し1年後は現地の人と会話ができる水準まで上手になり、その当時に新しいことを勉強する楽しみを気付く時期にもなりました。その後兵役に入り、そこでも同期や近くの中学校でも日本語を教えながら自身に足りないものをさがしました。そして他人を教えるためにはその人の立場でも考えて見ることも大事だっと知ることになる大切なじきでした。その後日本への留学を準備し兵役が終わってから日本での学期が始まる時期に合わせて日本に来るようになりました。最初の1年は現地の雰囲気を知るためにたくさんの人と話しながら今は使わない日本語や新しく出来た言葉などを勉強しつつ一番目の専門学校に入ることになりました。元々勉強して見たかった造形はビザの問題で昔から興味があったイラストを専攻してみるとことになりました。イラストの勉強を続きながら色んな事を考えることに
なりました。そして以前に諦めた専攻を実現できる専攻があることを気づいて選んだ
専攻が今の3DCGでした。最初は慣れるまでの時間が思ったより長かったが今は
作品制作に楽しさを感じるようになれ、今になっては自分自身で楽しみを作り出せることができる3DCGを仕事にしたいと思っています。

職歴

​なし