すー
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ヒストリー

出身地

茨城県

幼少期の暮らし、体験

末っ子で優柔不断で、出掛ける準備とかも遅いしすぐお腹いたくなるし、すぐ泣く弱目な子でした。だから家族にも結構めんどくさがられることが多く、気を遣うことが多かった思い出があります。

小学生のときは4年生までは友達によると「大人しくて、穏やか」っていうイメージだったらしいんですが、4年生のときに仲良くなった子に見出だされて、少し目立ちたがり屋のイジラレキャラになりました。

学校生活では、なにかとみんなが嫌がる「班長」とかに自分からなることが多くて、「みんなが嫌がることをできる」っていうことにやりがいを感じてたような気がします。小学校の生徒会長みたいなのをやったり、応援団長もやったりしましたが、それは「リーダー系をやりたい」っていうのと、少しの目立ちたがり屋精神と、あとは1個上の憧れの先輩の背中を追った感じもあります。笑

中学・高校時代

土浦日本大学高等学校 2017年卒業

中学時代はサッカー部副部長、生徒会副会長をやったりして(全部副ですが笑)リーダー系をやるのが好きだった覚えがあります。相変わらずやや目立ちたがり屋で、みんなを笑わせたりできるのに喜びを感じていました。

部活の成績も思うようにいかず、「もっと頑張ってれば」と後悔した思い出があります。また、受験も第一志望のところには落ちてしまい、絶望して、一時期ひねくれた性格になっていました笑

高校時代は、たまたま入れた学力的に一番上のクラスで、万年最下位の落ちこぼれでした。周りが勉強をできたせいか、リーダー系をやることにあまり熱が出なかった気がします。サッカーもそれまではスタメンだったのに、学年が上がってもトップチームのベンチにすら入れないという状況でした。「トップチームの人たちが嫌がる練習こそ、自分は本気でやる」っていうほを大事にして練習していた思い出があります。最終的にはそこが評価されたのか、ベンチには入ることができました。笑 たぶんプレーの自信のなさとか落ち着きのなさが評価の低さに出てたのかなぁと、今思い返すとそんな気がします。

勉強面は落ちこぼれ状態だったのですが、部活を引退し次第、本気で勉強に取り組みました。親には「浪人はさせられない」と言われていたので。 しかし、結果は散々なもので、国立前期はおろか安全圏と言われた国立後期試験まで落ちてしまい、結局受かったのは志望とはほど遠い私立大学一校のみ。 周りのすすめもあって、結局浪人することを決定しました。

浪人時代は本当に辛かった印象です。周りの支えや運もあり、なんとか第一志望に合格できたのは今までの人生で最も大きい成功体験な気がします。

大学・専門学校時代

高校時代から、大学での学問はイスラームにしようと思っていました。ずっとやっていたサッカーを続けつつ、ひたすら勉強していると思っていました。しかし、WorldFut TSUKUBAに入り、活動をしていくなかで生活の中心がこの団体のこととなっていきました。