どちらかというと内向的で、一人遊びも好きなタイプでした。
いまでは考えられませんが笑
ただ小学4年生の時に嫌いだった言葉は『社会の歯車でした』
それにだけは絶対になりたくないと思っていたのでそこは変わっていたかもしれません。
中学では打って変わって、何か言われたらすぐに喧嘩ばかりしていました。
そこから自分の中で変わらなければいけないと思い、冗談ばかり言うようになってからは周りに人が増えていき、充実した毎日を過ごせるようになってきたと思います。
高校では、お調子者で毎年文化祭のたびに仲間たちと女装をして踊っていました。
高校生まではたしかに(普通)ではなかったかもしれませんが遊んでばかりでなにもしていませんでした。
調理の専門学校に通いました。
専門では学生団体アクトリーの創設に関わり、そこで初めて学生団体というものを知り、今でも続く問題点や悩みを自分たちも実感しました。
専門学校に通いながらアクトリーと自身のイベントの主催なども行っておりました。
専門学校を卒業をし、西麻布の寿司屋へ開業と同時に入りました。
みなさんが想像されている通り、一日16時間労働月3日休み。手取り十四万という、絵にかいたような寿司屋修行を1年間行い、そこから六本木のグランドハイアットというホテルで2年間料理人を務めました。
料理人を務めながら、70名規模の社会人団体の創設運営や50人規模の若手経営者の団体の創設運営を行い、体系的に組織マネジメントやリーダーシップを学んでいきました。
その団体を運営しながら実家のレストランで3年ほど飲食店のマネジメントを行いながら、料理とサービスの腕を磨きました。
そして2020年に弟が代表を務めているアクトリーに以前自分たちが悩んだことと同じ問題があると知り、せっかく利他精神のある素晴らしい学生がそろっている学生団体という世界に教育というものがないのはとてももったいなさを感じました。
そこでないなら作ればいい。学生団体の歴史を変え、日本がより良くなるためにも自分たちが教育を行う。という想いからBOARDの創設に至りました。