土屋 純
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ヒストリー

出身地

神奈川県

幼少期の暮らし、体験

親の仕事の都合で年少の頃にフィリピンで住むこととなり、親の方針で現地校に通った。英語ができないという壁があったものの、周囲が優しく接してくれたことですぐに友人を作ることができた。その後、一度は日本に帰国したものの、小学3年生になるタイミングで再びフィリピンで住むこととなった。その際もインターナショナルスクールに通ったが幼少期と同様にすぐに友人を作り、遊ぶことも多かった。しかし、帰国後に海外で培った積極性が仇となり、いじめられることとなった。しかし、その経験も私にとっては非常にためになるものであった。というのも、いじめられるまで転校生という立場ながら自己中心的に振舞い、傲慢な態度を取っていた。そのため、いじめられる経験を経て周囲の状況を見ることを学ぶことができた。

中学・高校時代

神奈川県立柏陽高等学校 2020年卒業
中学校の3年間で大恋愛をし、現在の自身の価値観が形成された。大恋愛といっても片思いであり、大きく失敗した。しかし、そのおかげで私は自身の矮小さや努力の楽しさを学ぶとともに、承認欲求を追い求めるようになった。具体的な経験としては、意中の子と同じ高校に進学したいあまりに2か月ほど勉強に集中したことで、そのわずかな期間で偏差値を15上げ、その子の志望校に合格した。しかし、きっかけであったその子は失敗してしまった。そこで他のことに打ち込むことでその悲しみを埋めるように尽力し、部活動を3つ掛け持ちすることにした。それぞれ、軽音楽部、陸上部、山岳部であった。しかし、高校1年生の時に病気が原因で入院を繰り返したため、軽音楽部を継続することがライブを行うにあたって他のバンドメンバーへの迷惑になると思い、退部してしまった。

大学・専門学校時代

早稲田大学
大学ではサークルの立ち上げや新歓活動に特に力を入れて取り組み、オンラインサロンの運営などバイト面でも様々な活動に注力した。
後者は、具体的には社会人向けオンラインサロンのアルバイトであった。 私は特に講習生にアフィリエイトという広告を通じて利益を生む仕事のやり方を解説する役割を担った。取り組む中で、文字や画像だけで発信していることが原因で、講習生が作業方法を十分に理解できていないことに気づいた。そこで情報発信方法の改善によってリピーターや参加者を増やし、収益も増加が見込める点で自身の成果が分かりやすく、やりがいがあると思い、改革に取り組んだ。そこでそれまで文字や画像で解説していたものを、動画を使って解説するようにした。動画にすることで講習生が視覚的に理解を深め、手順を事細かに見れる点で伝わりやすいと思ったからだ。動画解説は以前よりも、運営側の負担が大きくなった。しかし、質問数が減少したことで全体的な負担が減少し、サロンに対する苦情もなくなった。この経験から相手の立場に寄り添って行動することが、双方に大きな利をもたらすことを学んだ。

職歴

なし