山形県 米沢市で生まれたものの、間もなく大阪府に引越し、道でガチャガチャを見掛けては強請り泣き喚く少年であった。4才頃にはまた米沢市に帰った。
トミカとプラレールの扱いが天才的であり、巧みな構造で小さな世界を創造することを得意としていた。
音楽を聴く耳に優れており、祖父母宅に行ってはレコーダーでクラシックを聴いていた。
サッカーを小学一年生から始め、小さい頃から精神面は鍛えられていた。
待望の中学生はサッカー「部」に入ることを楽しみにしていたが、クラブに入ることになり、サッカー尽くめの生活へ。同校から独りだけだったので、中学生という多感な時期に学校とはまったくの別環境下で一生活を送れたことは非常に良い経験になった。また所属していたクラブは我々が一期生であり、先輩がいないという環境で、1年生にして3年生と試合するといったことや、我々が常に一番上といった中で動いてきたことも良い経験となり、最終的に底辺リーグから高円宮杯東北大会まで出場することができた。
高校生は勉強も部活もいい塩梅といった形で過ごしていた。しかしセンター試験で転け、受験は失敗に終わった。初めて大きな挫折を経験したことで、"なんとなく"で生きてきた怠慢な自分の取り組み方の見直しや、下に落ちたからこその今後の軌道等、視る景色が変わった機会になった。
自分がわからなくなった。というのもたくさん悩み、葛藤と戦い、少しずつ社会というものの勉強をしているからかと考えられる。
法学部に所属した理由として、漠然と国家公務員一般職に就きたいとの理由があった。しかし、調べていくうちに省庁であれば転勤が多く、生活の土地が安定しないことや、卒業予定の年が東京オリンピック明けで、経済状況も不安定でありそうなため、正直迷走中である。ただ、法はその地で生きていくための絶対的な武器であると考えているので、学びには日々興味をもって取り組んでいる。
大学1年生冬から居酒屋でアルバイト開始。
大学2年生春からレンタカーでアルバイト掛け持ち開始。