中村 彩乃
フォロー コンタクト

ヒストリー

幼少期の暮らし、体験

友だちの影響もあり小学校4年生からお洒落をする楽しさに目覚めました。少しおませだったかもしれませんが友だちと互いにお家を行き来し洋服や小物を持ち合わせて、着回しコーデを考えて、写真を撮り印刷してノートにぺたぺた貼って雑誌風にしてみたり、、雑誌の切り抜きをノートにまとめてなぜこのコーデが好きなのかをまとめたりしていました。学校に行くにもお洒落には手をぬがず行っていたのですが陰口を言われることもしばしばば、、、。 着たい服着ているだけなのにとなんだかモヤモヤしていた時期もありました。

中学・高校時代

中学生の時はとにかく毎日部活三昧でした。バトミントン部に所属していたのですが1番下手で、でもそれが自分の向上心を掻き立て必死に空いてる時間自主練をしていたのを覚えています。

高校生の時も続けてバドミントン部に所属。いろいろなことで苦しんだ時期もありましたが、中学時代の忍耐力を糧に負けるものか!と頑張っていました。結果、市で準優勝をもらうことができた時は本当に嬉しかったのを覚えています。 また、通っていた高校では代々、自分たちでいちからコンセプト・音響・デザインを考えて行うファッションショーがあり参加しました。私は衣装を縫ったり、飾り、メイクをする役割をやっていました。

そして自分の今の大学に進学しようと思った転機が高校2年生のタイ1一人旅でした。初海外でとても観光気分だったのですがそこで子どもの貧困やスラムを目撃し衝撃を受けたのを覚えています。



大学・専門学校時代

東洋大学

1年次

高校2年生のタイに行ったのがきっかけで、貧困と環境問題を学べる学部を探して東洋大学に入学。当時は仲間を作るのに必死でボランティアサークルやフットサル・ダンスサークルにも入りましたが1年で辞めてしまいました。その後フリーペーパーマガジンを作るインカレファッションサークルに所属するもそれも自分がやりたいなと思うことではなくすぐにやめてしまいました。しまいにはインターンにも応募しましたが「本当にあなたがこれをやりたいか気持ちが伝わらない」と伝えられ落とされたりと、たくさん手を出してもすぐにやめてしまう自分に嫌気がさしていました。そんな時マレーシアに留学を1ヶ月留学する機会があり、自分は何がすきなんだろう?と見つめる機会ができました。その時、私はやっぱり洋服が好きなんだ!と思いアパレルでアルバイトすることを決意しました。

2年次

アパレルは正直、最初はとても厳しくて社員さんがほとんどの環境だったので注意や怒られたりもしばしば、、。悔しくて裏でたくさん泣いていました。でも接客だけは得意でとにかくお客様と一緒に服を考える時間がとても楽しくて嬉しくて続けられていました。また、バドミントンで培った忍耐力がそこで発揮され、社員さんに認められる店員さんになる!と思い頑張りました。結果売り上げ1位を獲得できたり、社員さんから意見を求められるまでに成長できました。本当にやって良かったと思いましたし、そこでファッションの楽しさを再確認することができました。

その後、友だちが夏に留学に行くと聞いて私も影響されてセブ島に1ヶ月留学。スラムでのボランティアをしたり友だちとご飯に行ったりしてとにかく充実した日々でした。しかしある時、服が好きな友だちと古着屋さんに行った時の事。フィリピンでは古着は貧困層の人が着るもののようで私たち日本人が来たことにびっくりしたフィリピン人の何人かの定員さんに動画を撮られたり笑れたり、しまいには購入した服を包む際、汗を吹かれて新聞紙に包まれてぽんっと渡されました。その時すごく衝撃を受けましたし、日本ではお洒落と思われる"古着"の価値観がとても変わった気がしました。そして私が服が好きで貧困•環境問題を勉強している理由とは?ということを問うようになりました。

帰国後何かアクションを起こしたいと思い株式会社tabippo主催の"世界一周コンテスト"に参加しました。服の価値観の違いや楽しさをファッションマガンという皆んなが手に取りやすいツールを通して伝えたい。そして、環境や貧困問題にも触れて少しでも身近に身近に感じてもらえる冊子をつくりたい!という目標をかかげ世界一周をかけて挑みましたが2次審査で落選してしまいました。しかし、そこで出会えた仲間には沢山の刺激を受けましたし、声に出して自分の夢を伝える大切さを知りました。

その後、これからどうしようと思っていた11月。たまたまJ Jの冊子を見ていたら西側愛弓さんの記事を見て自分がやりたいことはこれだ!とすごく共感し、「DEAR ME」にはいる運びとなりました。