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ヒストリー

中学・高校時代

中学時代)剣道部での活動を頑張った。
入部時に3年生の先輩の優しさと明るさに惹かれて入部したが、3年生は直ぐに引退。
女子部員が先輩二人と同級生2人の4名に。
​大好きだった先輩がいなくなり、男子部員に混ざって練習をする日々。先輩1人が去り、共に頑張ろうと入部した幼なじみも去った。
毎日辛かったが、辞めなかった。
3年生になり、部長に。
​1年生が体験入部してくる時、廃部寸前だった部活をなんとか維持しようと、また私のように部活動を辛い時間にして欲しくなかったため、笑顔とポジティブな言葉を絶やさないように接した。必死だった。1年生の反応は好感触で、期待に胸が弾んだ。
​結果、4人だった部員が20人以上に。本当に嬉しかった。後輩たちと賑やかに笑い合える。部活が、1年の時以来、久しぶりに楽しいと思えるようになった。
​実力も高くなく、教えられることは少なかったが、慕ってくれる後輩たちが宝物だった。
​後輩と過ごせた時間は短かったが、諦めずに部活動を続けていて良かった。

高校時代)
高校時代は勉強を頑張った。
​母校では毎週半ばに基礎力テストと呼ばれる試験があり、合格点が出ないと授業後に再テストを行い、合格するまで帰して貰えない、というものだった。
​やれることは全力で、手を抜かないがモットーの私は、絶対に不合格は取らないと入学時に誓った。
周りがスマートフォンをいじる電車内、通学の1時間で必死に単語や公式を覚え、満点をめざして勉強した。テストの前日はいつも緊張していた。
特に苦手な数学のテストの時は、本当に必死だった。
​結果として私は1度も不合格になったことがない。
​大した事がないと思われるかもしれないが、当時の進路指導の先生にたいそう驚かれたくらいだ。
また、特に印象に残っているのが古典のテストだ。
そのテストは難易度が高く、頭を抱えながら勉強した。
テストの翌日の全校集会で、今回のテストは不合格者が多いと嘆かれる中、「1名だけ満点をとった者がいる。」と告げられた。
私は、まさか自分ではないだろうと思いつつ、期待もあった。
​集会が終わり、教室に帰ると、答案用紙が返却された。
私の番が来た。痛いくらい緊張しながら答案を受け取ったその時、目の前の先生が声をはりあげた。「満点は、水野だ!」
教室がどよめいた。私は、信じられない気持ちと、やはりなという満足感とで、努力が実ったことを心の底から喜んだ。
​努力は必ずしも報われるとは限らないが、報われた時の喜びをこの実力テストで実感したように思う。

大学・専門学校時代

​大学では、TOEICの学習に力を入れた。
1年次からコロナ禍で大学へ行けず、自宅でできることに挑戦しようと、苦手意識のある英語で資格を取ろうと
決めた。1年次は高校教材で復習を行い、2年からはTOEIC600点を目標に勉強を始めた。
​大学へ行けるようになってからは、通学の2時間で単語を覚え、空きコマと帰宅後に問題集に取り組んだ。
ここで問題となったのが、モチベーションの低下だ。
その理由として、1模試の点が伸び悩んだこと2空きコマで遊ぶ友人を見ながら勉強することが辛かったことがある。
その原因は、努力が可視化されていないこと、一緒に頑張れる仲間がいないことだと考えた。
そこで、1、アプリで学習時間を1秒単位で記録し、2、学部外でTOEICを勉強し、なおかつ自分より点が高い人を探し、その人を目標にし、勉強法のアドバイスを貰った 。
​そうして勉強を続けた結果、目標である600点を超える765点を取得することが出来た。