ばた
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ヒストリー

出身地

北海道 Eniwa-shi, Hokkaido

幼少期の暮らし、体験

家族でよくお出かけした🚘

小学生までだと、学年が上がるにつれて人見知りをするようになっていたと思う…。

4歳の頃には初めての弟が生まれた。家族でよくドライブに行くのがとても好きで、北海道の道の駅を一周したのもこの頃。

中学・高校時代

北海道北広島高等学校 2018年卒業

一生の付き合いになる友人や趣味と出会えた💐


中学校のメンツは小学校から同じ人も多かったが、たくさんの新しい出会いもあった。中2から中3でクラス替えがなかったため、特にそこで同じクラスだった友人たちは思い入れが深い。

(今でも騒げて心の許せる友人たちと会ったのはこの頃だったと、成人式で再会した時に気付いた)

高校の友人は、一緒にいることで部活や勉強において高め合うことができた。特に、大学受験の時は将来について話し合ったり、悩みを打ち明けたり、精神面で支え合える友人が多いと感じる。


中学から吹奏楽を始めた。高校まで6年間続けることになる。

中学入学時は吹奏楽なんて全く考えていなかったのだが、対面式で部活紹介があり、吹奏楽部は演奏を披露してくれた。私は目の前で音楽が演奏されるのを観て聴いた経験が無かった為、一瞬で心を掴まれた。特に、ドラムを叩いていた先輩が輝いていて、自分もやってみたい…と思った。

迷わずパーカッションパートを希望し、入部した。初めて触れる楽器だらけだった。叩くのは簡単そうに見えるが、その音をどのように表現し、合奏の中でどんな役割を果たすのか?考えることが多く、一気に引き込まれていった。

中学でも高校でも、主に夏の「吹奏楽コンクール」や冬ごろの「定期演奏会」に向けて練習を重ねる。その他にも、学校祭、運動部の壮行会、先輩の卒業式など学校の行事にも参加させていただけることも多く、同級生に自分たちの活動を知ってもらえるのを嬉しく思った。

部活は忙しく、幼少期のように家族との時間をたっぷり使うことは出来なくなってしまった。しかし、毎日母親がお弁当を作ってくれて、演奏会には必ず家族で聴きにきてくれて、練習の朝早い日には叩き起こしてくれて、私が吹奏楽の曲ばっかり聴くから家族が覚えてくれたりして、とても支えられていた。

高校最後のコンクールは初めて全道大会への出場を果たし、最高の仲間と有終の美を飾ることができた。

大学・専門学校時代

新しくダンスを始めてみる🕺

大学のサークルはどうしよう、というのは受験時から考えていたことだったが、なかなか決め手は無かった。(吹奏楽部は極小、オーケストラで使う打楽器はそんなに得意じゃないし…。天文部とかで星でも観られたらいいかな?)

一応天文部には入ったが、活動がほぼ無く、参加したのはたこ焼きパーティだけだった。(え?)つまり、自分のやりたいことではなかった。

ある日友人と学食で暇を潰していると、お昼時間にダンス部の説明会があると誘われた。特に用はないので付いていった。その日は座談での説明だけだったが、後日プレ新歓があり、ダンスの発表があるとのことだったので、せっかくなので行ってみることにした。

ダンスにはさまざまなジャンルがあるということを教えてもらい、中には見たことのないダンスもあった。それがwaackだった。私はその腕のしなやかさと独特の美しさに惹かれ、迷わずwaackを希望した。(あれ…なんかデジャヴ…)

ダンス経験は1ミリも無かったので、0から教えてもらった。ALMAは主に、7月頃の自主公演と、10月末辺りの学祭(浜大祭)に向けて練習を行う。初めての発表を終えたとき、私はステージで発表することの楽しさを再確認した。

結果的に、運動神経の悪い自分に向いている部活だとはとても思えなかったが、仲間と高め合える環境はやはり良かった。私の自己表現に「ダンス」が増えたことを誇りに思っている。