Rio
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

以前は人見知りな子どもだった。

人の目を見て話すことができず特定の人としか話すことが出来なかった。しかし、小学校受験を通して必然的に大人と関わらなければいけない修羅場を幾度も経験し随分改善した。また、兄弟が多いため親からの大きな圧力をかけられずに育ち、自分らしくあることの良さを学んでからは随分ありのままの私を受け入れられるようになり、人前で意思を表明することへの抵抗がなくなった。けれど、兄弟が多い影響で同い年の子に比べて親の力を借りずにやらなければいけないことが多くあり、勉強面や生活面ではとても苦労をした。掛け算をなかなか覚えられなかったり、漢字テストを何度も受け直したのはとても恥ずかしい思い出であるとともに今の自分を作ってくれているのだと、今でこそ感じている。そんな中、小学4年生のとき学級委員に選ばれてから「学級委員は優秀でなければならない」という子どもらしい単純な思考(一種の偏見ですね💦)のおかげで学業に励むようになった。

小学生の頃の私に高校一年生になった私から一言。早いうちにたくさん失敗をしていた方が後の自分の意思を強くする。あの日々のもどかしさ、悔しさは一生忘れない、忘れられない。だからこそその気持ちを糧に今まで歩んできた日々は当時の自分ではきっと考えられないほど濃い時間になったと思っている。失敗を恥だと思わずに前を向く、これが私の座右の銘だ。

中学・高校時代


中学は附属校だったため、環境的には特に大きな変化がなかったというのが正直な感想だ。しかし、そこれで新しく入学した友たち(以下、Yとする)に出会って私の考え方が180度変わった。彼女は元々ハーフで2ヶ国語を自由自在に操る上に、成績優秀、いわゆる私にとって「完璧」な子だった。本音を話しことに普段から戸惑いの多かった私にとって、素直なことを言い合える存在はとても大きかった。しかし、そんな彼女も2年生に進級してすぐ海外に引っ越さなければいけなくなった。クラスが分かれてしまっていたこともあり、特に別れの挨拶をすることがないまま別々になってしまった。連絡先は知っていたものの、携帯を買い替えたのか繋がらなくなってしまった。そのとき、距離が近ければ気づかないことが多くあるが、離れて始めてそれが自分にとってどれほど大きな存在だった改めて痛感した。


それから半年経った頃、一通のメールが届いた。彼女からだった。Yは海外で将来の自分がどうありたいか考えていた。私はその考えに自分の未熟さと彼女への憧れを感じた。

その時だった。私が留学をしようと決意したのは。

2021年の夏から私は留学する。勿論きっかけを一つに定めることはできないが、きっと彼女の影響力は多きかった。まだ現地に行っていないため多くのことは話からないが、新しい環境で私の考え方や将来に対する見方、やりたいことに気づけると思う。


The greatest glory in living lies nat in never falling, but in rising every time we fall.   Nelson Mandela

私は他の人と比べて何か勝るものがあるわけでない。私はYのように影響力があるわけではない。しかし、少しでも前進することをできる。 前を向けるようになったのが私の中高時代だ。