石垣美晴
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ヒストリー

出身地

秋田県

幼少期の暮らし、体験


秋田県秋田市に生まれました。秋田はいいところです。

小さいころから魔法と読書とポケモンが好きでした。

母親が私のためにレインボーマジックというイギリスの本を買ってきて、毎晩読み聞かせてくれていました。
本の虫になったきっかけは、ポプラ社のらくだい魔女シリーズです。母親に読み聞かせてもらっていたのですが、気づいたら自分で読み進めていました。
ここから、私の魔法好きと本好きが始まります。魔女が出る本はかたっぱしから読み漁り、祖父母の家の裏の山から拾ってきた木の枝を箒にして、一日中空を飛ぶ練習をしていました。

幼稚園の年長さんの時にポケモンダイヤモンドが発売となり、それをやり始めたことがポケモン好きになったきっかけです。
ポケモンにのめり込んで、カタカナがよめるようになりましたが、代わりに視力を失いました。

当時は、大改造ビフォーアフターにはまり、一級建築士になって、お家を建てたい!!と思ってました。

三人姉妹の長女なので、小さいころから、できることは自分でやる。をモットーに生活してきました。そのせいか、できることが多くなり、人に頼りにされることが多くなっていきました。
人を助けると喜んでもらえる。その顔が好き。
私のGiverの精神は、このころに出来上がったんだと思います。

中学・高校時代


中学校:吹奏楽部で鍛えられたメンタル
小学校で器楽部に入っていた影響もあって、中学校では吹奏楽部に入りました。
身長が高かったので、顧問の一声で楽器はチューバに決まりました。

この顧問に、メンタルをがっつり鍛えられました。幹部でも何でもない私に、無理難題をたくさんおしつけ、私もそれに対抗して顧問とたくさん言い争いをしました。いま思い返してみると、どの出来事も有意義なことばかりで、沢山の機会を与えてくださった先生には本当に感謝しています。

2年生の冬に、アメリカのロサンゼルスに短期留学に行きました。
いままで、勉強でしかやってこなかった英語が、本当に会話で使われていることにおどろき、世界って広いんだなぁ、と思ったことを覚えています。

高校受験の時は、進路にとても迷いました。
しかし、妹と弟が「将来は秋田高校に進学したい!」といったので、
長女として負けるわけにはいかないと、県一番の秋田高校への進学を決意。
猛勉強の末無事合格しました。


高校 :将来について悩む
秋田高校では、心機一転生物部に所属し、シトラールを使った消化器系のがんの抑制について研究していました。東北大学理学部出身の顧問の支えもありつつ、本格的な研究をし、研究内容は、総合文化祭で優秀賞をもらいました。

私の人生に転機が訪れたのは、一年生の秋です。
2年生からの文理選択を前に、私は迷っていました。
以前から、ぼんやりと理系に進めばいいと考えていましたが、生物部で研究をしていくなかで、その考えが揺らぎ始めたのです。

​同じ研究班で文学部の先輩からアドバイスをもらったり、自分の中で考えた結果
研究よりも、より人々に密着して、人々の生活を変えたい!!
​という思いが強くなり、文系を選択しました。

大学・専門学校時代

一年の浪人期間を経て、東北大学文学部に合格。
大学のうちは、自分のすきな文学をたくさん勉強しようと決めました。

でも、なにかがたりない...

一年生の秋にふとそんな気持ちが湧いてきました。
コロナ過で、友達との交流ができなかったのもあったとは思いますが、
それを除いても、何かが欠けていると思ったのです。

そのようななか、Pompadourに出会いました。
なにかおもしろそうなことをやっている...!!
そのような気持ちで活動をのぞいてみました。

Pompadourの活動を見ていく中で、私の中であった何かが足りない、という気持ちのもとが、高校時代に掲げた、人々に密着して、人々の生活を変えたい!!という考えが行動に移せていないことだということに気が付き、ここなら、私のしたかった活動ができそうだと思い、Pompadourへの入団を決意しました。