松山 大治朗
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ヒストリー

出身地

岐阜県

幼少期の暮らし、体験

幼少期は、父の転勤の関係で福岡県、愛知県、神奈川県など、様々な地域で暮らしいていた。誰とでも仲良くなれる性格だったので、転校後は様々な友人と遊ぶことが多かった。愛知県で暮らしていた時には水泳、ソフトボール、学習塾と多くの習い事をしていた。また、友人にも恵まれ、平日から休日まで遊びまわっていた。神奈川県に引っ越してからは野球を始めて、日々練習に打ち込んでいた。春季決勝戦で試合に出れた時は嬉しかった。

中学・高校時代

桐蔭学園高等学校 2018年卒業
中学時代は野球部に所属し、日々練習の毎日だった。平日は朝7時からの朝練、放課後は暗くなるまで練習、休日は練習試合をするために遠征と野球漬けの日々を送っていた。レギュラーとして出場することはなかったが、チームの勝利に貢献するために自分にできることを考え、行動していた。高校受験の際には勉強に身が入らず、第一志望の高校に落ちた。高校では新しいスポーツに取り組みたいと思っていたため、友人の誘いもあり、バレーボールを始める。正直、中学時代と同じかそれ以上にきつい毎日だった。放課後の練習が憂鬱で、学校生活を楽しめていなかった。高校2年の時に部活を辞めた。後悔はしていない。むしろ、部活を辞めたことで学校生活を楽しめるようになり、友人の輪を広げられた。また、勉強にも集中できるようになり、全ての科目でトップのクラスに入った。学校での勉強を頑張っていたこともあって、高校3年生の10月に指定校推薦の枠をもらい、中央大学に進学する。


大学・専門学校時代

中央大学 2022年卒業
大学1年の時は、大学はキラキラしていて勝手に楽しめる場所だと思っていたため、理想と現実のギャップであまり学校に行かなかった。サークルにも色々行ってみたが、結局は行かなくなってしまった。しかし、大学1年生の後期から大学はこんなものだと思い、今の自分の環境で楽しむことを決めた。そこからは、様々なところに遊びに行くようになり、少しずつ大学生活を楽しめるようになっていった。Instagramで他の友達の大学生活と比較していたのが、よくなかったと思う。人と比較していては絶対に幸せになれないと気づいた。大学3年生になり、進路を考えるタイミングで自分は食に関する仕事をしたい、食を通して人の健康に携わる仕事がしたいと思い、大学院進学を決意する。あと、コロナがひどい時期だったので、今のタイミングで就活をするのは厳しいと思ったことと今就活をしても話せることがないという理由もあった。大学院進学にあたり、TOEICのスコアが必要だっため、初めて自主的に勉強に取り組んだ。勉強の方法を自分で調べ、試行錯誤しながらスコアが伸びていく過程が本当に楽しかった。高得点を出した時には、初めて主体的に動き、数的結果をだせたことが嬉しかった。自信につながった。