あつもり
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ヒストリー

出身地

東京で生まれる

幼少期の暮らし、体験

あまり多くは覚えていないが、とても臆病な性格だったのはなんとなく覚えている。怒られることを極端に恐れ、ちょっとしたおふざけにもとても神経質になっていた。幼稚園で将来の夢は「漁師」とも言いながら、ブロックで高速道路を作ることが好きだった。

小学校低学年では、よく父親と二人旅へ行った思い出がある。ちょっとしたドライブもしかり、香川の金毘羅山にも行ったし、広島はとてもよく覚えている。宮島であなごの絶品具合に感動し、平和資料館では当時の自分にとってとてもショッキングなものであって 近くの女性が恐怖で倒れたことも、そして 尾道を観光している途中 自分がカメラを落として壊し 市内で新しいカメラを購入したのもとてもよく覚えている。
そして、小学生3年から一人旅も始めた。もとは鉄道好きから始まったことで、この列車に乗る ということがメインにしていた。小6で寝台特急に一人で乗った記憶もかすかに残っている。

中学・高校時代

芝浦工業大学附属高等学校

この高校はもともと、実家の近く(徒歩20分くらい)にあり、近さと その昔は鉄道員養成学校であった歴史もあったことから、この中高一貫校へ進学した。さすがに工業大学付属であって、理系の能力がメキメキと鍛えられた。国語の教員の肩が狭そうであった。そして、ここでの水泳の授業はよく覚えている。室内は温水で、年中使用できた。そこで何100mと泳がされ、そのあとの授業での頭の違和感にはよく覚えている。

実はこの学校、自分が高2の頃に移転しているのだ。名前も「附属」という二文字がついた。場所は江東区豊洲 豊洲市場へも徒歩5分と相当近い。旧校舎は確かに老朽化していたけれども、通学時間が3倍へと引きあがらせられたことは今なおでも納得がいかない。通学定期代もかかってしまった。通勤時間の混雑地獄もよく覚えている。

当然旅も続けた。まだ鉄道が好きだったので、どんどん範囲を広げ様々な地域へと旅をした。旅の仲間も増えた。仲間の一人が香川県に祖母の家があり、そこにお邪魔しながら四国を周ったのは本当にいい思い出だ。高校になってから、その土地の風景やご当地グルメにも目を光らせるようになった。函館の雪景色、修学旅行の五島列島は本当に楽しかった。各大学へのオープンキャンパスでも旅行と化した。18きっぷを屈指して5日間で富山と熊本へと 鈍行と夜行バスを屈指して旅行したのは本当によく覚えている。ここまで自由にしてくれた親には本当に感謝している。

大学・専門学校時代

広島大学

広大への進学は センター2日後に決めた。もともとは熊大だった。西日本豪雨への関心 そしてなにより、何回も広島へ旅をする間に、広島のまちを好きになっていたのである。なにか運命的なものを感じる 「広島を冒険してみたい!」と強く思えた。前期入試の時でさえも、旅行の一部と化していた。熊大へ受験するために福岡便をとっていたが、キャンセルせずに、太宰府へ合格を祈ってから受験していった。西条のまち、広大の大きさもその時始めてみた。そして受験し、帰りは夜行バスで帰宅した。

そして現在 たくさんの仲間と出会い、様々な驚きの連続であった。旅は電車から自転車へと変わった。大学の授業を数多く受け、色々と身になることを考えれた。そして、いい仲間にも多く出会えた。仲間たちは自分よりとても素晴らしい力を沢山持っている。自分はとても成長できると思う。これからの大学人生、旅も、仲間との活動も、冒険も 様々なことを全力で取り組んでいきたい。自由に。