浅野海
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

一言で表すなら、「無邪気で騒がしい」。とても元気で、両親は手に生えない子供だったらしい。家族でどっかに行った時は高確率で私1人だけが消えていてよく迷子になっていたらしい。友達もたくさんいて楽しかった思い出が数多くある。なお、幼少期の頃に悪いことをするたびに父親にひっぱたかれまくって精神的に強くなった模様。喧嘩をしても、相手のパンツやキック程度では痛みを感じなくなっていた。

中学・高校時代

​思春期に入り、一気に女子と話すことが難しくなる。無意識の領域で異性を意識していた。しかし彼女は作りたかった。そのため女子とどうやったら話せるようになるのかを考えるようになった。そこで取り組むようにしたのが美容院で美容師の女性と話すことを毎回違う美容室を予約していろんな女性の美容師と話した。また​、店の女性の店員に話しかけて商品を買うと見せかけて話を延々としてみたりしていた。そのうち女性と同接すれば良いのかがわかってきて、徐々に女性との壁も溶けていった。

大学・専門学校時代

彼女が欲しいがために、入学時に「1日に3人新しい人と話す」と言う課題を自分に与え、生活するようになる。いろいろな人と話遊びに行っているうちに、大学生活がとても楽しくなる。週一でいろんな女の子とカラオケ屋に行って​恋愛ごっこめいたことをする。
大学2年生の頃に、マックのアルバイトで彼女と知り合う。彼女は、高嶺の花的な存在で、私には手の届かない存在だと思っていたが、ために狙う事はなかった。しかし意外なことに彼女から告白され付き合うことになり、現在でも続いている。

職歴

高校生の頃は拘束でバイトすることができなかった。​大学1年生の夏からマックでバイトするようになる。人生、はじめてのバイトではじめの頃は色々と戸惑うもののすぐに慣れる。
​大学2年生の春から高校の卓球部の外部指導コーチとしてアルバイトをするようになる。きっかけはもともといた中学校の後輩の推薦。1時間2300円の高給で忙しなく働いて、1時間の給料が最低賃金のマックが馬鹿馬鹿しくなりすぐにやめる。
​大学2年生の秋ごろからカラオケのバイトを外部指導員と掛け持ちして始める。これは今でも続いている。
卓球の外部指導員のバイトは1年契約だったため、大学3年生の春にやめる。