大変な悪ガキでした。
先生に怒られることは常習犯で、その癖メンタルが弱いから怒られるたんびに号泣を繰り返していました。
今でこそ大分落ち着いてきてますが、超やかましい問題児であった自覚があります。それでも色々な人に恵まれ、かつその人たちが見放さず関わりを持ってくれたお陰で人並みには成長してこれました。
また、父の転勤で引っ越しが多かった関係で幼馴染と呼べる人が少ないのがすこぉしさみしかったりします。けど、新しい環境に入ることが常だった幼少時代を過ごすことで人見知りをしない性格に育ちました。色々な人と話したり仲良くなったりするのが好きです。
中二病を思いっきり患った時代です。
中高一貫校に通っていて、今でもここで仲良くなった友達とは繋がりがあります。青春時代を思いっきり一緒に楽しんだ奴らで、一番信頼を寄せている仲間がここでできました。
この時代一言で自分を表すと中二病の重篤患者、と言えます。もう使う言葉全てをなんかかっこよく表現したがる。自分に特別な力が宿っていると勘違いする。もう、超カッコ悪い青春時代を送っていました。けど、思いっきり患っていたお陰で当時は思いっきり楽しむことができました。やっぱりなんでも一生懸命が一番ですね。
因みに、今でも私は中二病の尾を引いています。私は将来何か特別な事ができる。そう信じています。なんの根拠もありません。けど、将来に対する強烈な希望感や情熱を中高に中二病によって信じきっていた私は、今になってもどうしても疑う事ができないのです。
飛躍の時代です。
特に何か輝かしい結果を残したとかそう言う訳ではありません。けど、今振り返って一番成長ができた時代なのかなと思います。
入学当初、私はなんでもやってやろう!と言ういわゆる意識高い系の大学生でした。もう目の前に挑戦できる何かがあれば構わずなんでもやってみました。お陰で、大学入学当初は所属サークル5つ、やっていたバイトは3つ、大学の授業も一般教科に加え教職を取る、と言った超多忙な生活をしていました。
お陰で、交友関係は爆発的に広がりましたしチャレンジをする時の勇気とか様々なポジティブな恩恵がありました。ここで培った様々な能力を社会人になって発揮して、自分が望む結果を掴み取ってやりたいなって思っています。
因みに、大学生活で記憶に残っているものはボランティアをやった経験と様々な国を旅行した事です。ボランティアではカンボジアに教育支援を行っていました。人に何かを自分の純度100%の優しさで行うことの楽しさを知りました。海外旅行では色々な文化に触れられて様々な方面に興味を持てるような人間になれたかな、と感じています。
もしここら辺で興味ある事があれば遠慮なく私にお声がけください!
社会人1年目で、IT系の商社で働いております。
超ホワイトな企業で、私の入社の決め手である「人」を大事にすると言う理念が特徴の会社です。全ての商売活動の根源は人である、と言うポリシーの元、社員が全力で働けるような様々なシステムや思いやりが随所に感じられます。
私はそんな中、あるソフトウェアの技術を担当しています。メーカーから買ってきたソフトウェアをニーズのある会社に売る時に、お客様用に設定を作ったり、製品を使いこなせるよう支援をしたりしています。
ITと言う特性上難しい言葉や概念を取り扱います。それを自分なりにちゃんと理解して、お客様がどうやったら分かってくれるか、メリットを感じてくれるかを考える事が楽しいです。
まだ1年目なのでメキメキと成長して社会に価値を生み出せる人間になりたいと考えています。