(保育園時代)
常に人見知り。登園時母親と別れたくなくて泣きじゃくる。
自然が当たり前に周りにある環境で育つ。父親と山登りをしたり、祖父母の畑の手伝いをよくしたりする。
(小学校時代)
小1~小4半ばまでは親友と同じクラスだったこともありいつも二人で遊んでいた。
他の子とは違うことをするのが好きだった。
小4の途中から親友の友達もグループに入ってきて人見知り発動。
誰とも口を利かなくなり、ぼっちになる。学校生活が苦痛になる。
(中学時代)
小1からピアノを続けていたこともあって、音楽が好きだったので吹奏楽部に入る。部活が楽しい。
周りからかわいがられてはいたが友達はおらず、休み時間はいつも一人で本を読んでいた。テストで何度か学年1位をとった。
女子の派閥争いが醜く見え、心の中では見下していた。
周りから思われている、優等生的な「かなこ」像に縛られ、自分の素が出せなかった。
自分の素を出せる環境に行きたいと思い、同級生が誰も通わないであろう県外の難関校を受験。倍率3倍、偏差値67、模試はE判定しかとったことがなかった。塾に行かず、過去問20年分を自分で徹底的に分析して勉強した結果合格した。
社会の授業で「世界の人口過剰による食糧不足が日本の将来」ということを教わる。衝撃が走る。その授業がきっかけで環境問題や飢餓・貧困問題に興味を持つ。
(高校時代)
とても自由な校風の中で比較的穏やかな人ばかりだったため自分の素を出せる人ができ、初めて友達と呼べる友達ができた。
吹奏楽、インディーズのロックバンドに没頭する。成績はほぼ最下位まで落ちる。
受験期に入り焦りはじめ、勉強しかしない生活をする。すると成績は伸び、謎に理科で文系1位をとる。
将来は国連職員や国際公務員になりたいと思う。
大学1回生
同志社大学入学。私立大学に入学したこともあり、大学院にはいかず、国際協力に取り組めるNGOやJICAなどに就職することなどを考える。
将来のためにも経験を積むことができる国際ボランティアサークルに入会。その中で立ち上げのきっかけをもらい、アフリカ支援団体CHEKAの代表になる。
大学2回生
団体メンバー2人で80人の新入生に説明会を行う。
CHEKAのメンバーは3人から20人になる。
秋ごろからいろいろな大学生や目上の方とお話しするようになる。団体の理念・ビジョンをブラッシュアップする必要があることを痛感。
コロナや、団体理念やビジョンを明確化させたことが原因で団体メンバー数が20人から5人に減少したが、少数精鋭になった。
アフリカを支援しようと思っていたのに、アフリカ人と話すと「困っていない」と言われ、むしろ日本人よりもハッピーに生きている人が多いことに気づく。
以前から興味のあった貧困問題と食糧問題(食品ロス問題)に取り組むことができるフードバンクのNPO団体にてインターン。企業や学校6件に営業。成約率100%
大学3回生
アフリカの魅力に取りつかれ、アフリカを伝えるイベントを団体だけでなく他の人とコラボして個人でも行うようになる。
2022年に開催予定の1000人規模のイベント、OSAKA AFRICA FESTAを企画中。