さやねぇ
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ヒストリー

出身地

兵庫県

幼少期の暮らし、体験

わたしの幼少時代を家族に語らせると必ず言うことがある、それは、、、ようじゃべる子で口が回る子やったわぁ​だ。​​​
 親戚で年に1回大阪から長野にりんご狩りに行った片道6時間の車内で私は一睡もせず幼稚園であったことと、その時はまりにはまっていたクイズの本を暗記していたためクイズを出題し続けた。6時間車内の大人5人に会話を貼り続ける5歳児だった。
 口が回るというのは、あーいえばこーいう子ということだ。祖母に会うと毎回と言っていいほど語られる私のハニーハント事件がある。4歳の頃祖母と母と姉とディズニーに行った。姉にせがんでポップコーンバケツを首から下げてもらった。とてもご機嫌に歩いていたが、プーさんの乗り物になるとか首からそのまま忘れてしまった。閉園間近でゲートを出る手前に母に「あんたバケツは?」と聞かれ、私は自分のやらかしに気づきとっさに「プーに飾ってきた」と言ったのだ。母と姉と祖母は呆れ返って怒るかもなくなったという。我ながらいい返答をする4歳児だと思った。
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中学・高校時代

私立須磨学園 2018年卒業
中学校の頃バレーボール部で県大会入賞を目標に活動していました。顧問の先生がとても厳しく、常に叱咤激励されながら練習を行なっていました。結果的には入賞できなかったのですが、辛い中でも楽しむ力と根性と忍耐力と体力を得ました。また、高校二年生の時マレーシアへ植林活動を行った際にバレーボールができたことによりホームステイ先の村人達ととても仲良くなりました。結果は残らなかったとしても努力したことは何かの形で帰ってくると身に染みて実感しました。中学の部活で得た力で高校3年間は朝の7時から夜の9時まで毎日勉強に取り組みました。センター試験に失敗した時は人生が真っ暗になったような挫折を味わいましたが、現在の大学に入学して挫折をバネに目標を立て直し今でも向上心を持って部活動、勉強にも取り組んでいます。合格できなかったからこそ満足することなく次の目標を即座に考え行動できたと考えています。

大学・専門学校時代

大阪府立大学
大学では一般社団法人STUDY FOR TWOでHRチームとして人材育成に貢献しました。上記団体は全国45支部約600人の国際教育支援を行う団体で、他大学の意識の高い学生と切磋琢磨し活動できるのが魅力の一つです。しかし、コロナ禍で他大学と出会える全国合宿が中止され、支部の活動もオンライン中心となりメンバー同士、特に新入生の交流の不足からくる帰属意識の薄れを非常に問題視していました。そこで、団体初となる100人規模のオンライン新入生交流会を企画しました。全国の人とのつながりを作り、団体をより深く知ってもらうことを目的に約4か月準備し、参加者満足度9割越えの企画となりました。この企画がきっかけとなり、新入生向けイベントの運営や学生代表や地区代表と幹部職に興味を持つ新入生が現れました。オンライン化で不安視されていた人材不足を解消し、前年度よりもアクティブメンバーを増やすことに成功しました。大学2年生終了後留学に行くために1年間休学しました。コロナで留学が中止され、国内でできることを考える東京で1年間営業とライターのインターンに取り組みました。学生の頃から大人と仕事をする経験をしたことで視野が広がりました。