平川 翔太
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

物心ついた時には孤児院にいて幼稚園の年長の年に弟ができたらしくおじいちゃんとおばあちゃんに拾われた
幼稚園に行っていた時はとてもワガママで制服を着ずに私服で通っていた
小学校低学年の時は荒れているクラスにいて先生が泣いてしまうほど学級崩壊しかけていてイジメっ子にちょっかいをかけられていたが静かで大人しい子だった
学年が上がる事にクラスも落ち着いてきてイジメも無くなり友達も増え毎日のように誰かと遊んでいた

中学・高校時代

中学校に上がった時行方不明だった母が見つかりそれからたまに会うようになった
2年生の夏休みに母に家に遊びにおいでと言われ弟と2人で会いに行った、母が迎えに来たと思ったらそこにはヤクザも一緒にいて母が居候しているヤクザの家にお泊まりした
3年生になった頃学校に行くのがめんどくさくなってしまい休む日が増えてしまった。
家の事情もあり先生に病んでいると思われカウンセリングを受ける事になった、病んでいる訳でもなかったのでカウンセリングの先生に迷惑なので休まずに学校に行くようになった
高校受験の時に特に行きたいところが見つからなかったので1番近い高校に行くため塾に通い勉強した。
それまであまり勉強をしてこなかったので受かるか分からなかったが沢山勉強したので何とか受かった

1年生になり新しい環境に不安しか無かったけど仲のいい友達もでき何とかやって行けていた
部活に入ることになり中学の時にやっていたソフトテニス部に入りたかったけど硬式テニス部しかなく迷っていたが友達に誘われeスポーツ部に入った
夏休みにとあるゲームの大会に先輩達と出場し九州大会の決勝まで行ったがその年の優勝校に負けてしまった
そのまま3年生まで何事もなく楽しく過ごせた

3年生の夏に進路を決めないといけなくやりたい事がなにかずっと考えていたゲームやアニメなどに仕事で携わりたいと思い声優を目指そうと声優学校を進路にした
親に反対されどうやっても許しを貰えなかったので東京で就職し働きながら目指す事にした、空港のお仕事に進路を決め面接に行ったが面接官の方に「君は若いからこんなところで働いてはダメだ」と言われた面接ではなく空港のお仕事の大変さと現状を見せられ酷く絶望した
その後内定を貰ったがそれを断り別の形でゲームやアニメなどに関わる仕事を探し今通っているデザインの学校を見つけそこに進学することにした



大学・専門学校時代

1年生になり家から遠い学校に2時間ほどかけて通学する事になり今まで早起きしなかったがとても早い時間に起きないと行けなくなり最初はとても大変だった
​新しい友達もでき楽しくデザインを学べてとても充実しています