阪本 大宜
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ヒストリー

出身地

和歌山県和歌山市

幼少期の暮らし、体験

4人兄弟姉妹の末っ子として生まれ、兄弟姉妹の影響もあり0歳から剣道場に加盟しました。小学生の時は、剣道(月・水・金・土・日)、水泳(火・木)、ミニバスケ(平日毎朝)のサイクルを軸として回し、勉強はせずに遊ぶかスポーツをするかの毎日でした。

その結果、小学6年生の時、県大会で勝ち残り、県の代表選手として出場した全国大会で団体準優勝という成績を収めることができました。

中学・高校時代

2校中学受験するも、勉強不足で全落ちし、その時初めて自分の頭が悪いことに気づき、中学入学までに猛勉強し小学生の頃は学年最下位レベルから中学で真ん中くらいの成績まで伸ばすことができました。ちなみに中学入試の国語の問題で最も適当なものを選びなさいという問題で、テキトーに選んでしまうくらいのおバカさんでした。

入学後はひたすら毎日朝夕(日によっては夜も)剣道三昧で、塾には一応通っているという感じでした。中学に入る直前くらいから、ふくらはぎの肉離れが癖付きはじめ、練習をしてはNクリニック(大阪のスポーツ専門クリニック)へ行きケアをするということをしていました。

中学3年生の時、中学校のチームで県予選を勝ち全国大会へ出場し、全国で団体優勝することができました。実はこの時、肉離れが重症でドクターストップもかかるほどで全国大会には出られる状況ではなかったのです。ただ、Nクリニックの先生が「どうしても全国大会に出場したいのなら一緒に頑張ろう」といって、あらゆる治療を行なった結果、なんとか大会に出場することができました。

そんなこともあり、いつしか医師に憧れを抱き始め、中学3年9月に剣道引退後、進学校を目指し毎日猛勉強し、県下2位の進学校に入学することができました。

高校では、毎日勉強で学校のイベントごとがあれば、イベントごとに夢中になっていました。そんな勉強ばかりの毎日でしたが、正しい勉強法を知らずにただただ勉強をしていたので成績も思うように伸びませんでした。

結果、大学入試は全落ちし、それでも医学部が諦めきれなかったので、両親と話し合い1年だけ浪人させてもらうように説得できました。そこからはこれまででは考えられないくらい毎日本当に朝から晩までひたすら受験勉強の1年間を過ごしました。浪人1年目の受験は1次試験に受かるものの2次試験で落ち、結果的に全落ちでした。その結果がわかったのが3月でした。医学部以外の他学部を受験しようと受験校を探すものの、早慶MARCHは受験が終わっていたので、日本大学と東京農業大学を受験し両方合格し、自分の条件にあった日本大学に進学することにしました。

大学・専門学校時代

大学では、通常の講義とは別に、Antre-to-be(継承者育成プログラム)というものを受講しました。そこで事業計画書を作成をし、それに関するプレゼンの発表会で最優秀賞をいただくことができました。

このプログラムは2年で終了し、何をしようかと考えていた時に、とある経営者の方から社会人と学生が共に学び関われる環境を作りたいとお話をいただき、学生団体Tokyo COREを立ち上げるに至りました。

現在Tokyo COREでは、11月の杉浦誠司さんの講演会開催に向けて活動中でございます。