小山莉世
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ヒストリー

出身地

千葉県

幼少期の暮らし、体験

動物と触れ合ったり、絵を描くのが好きな子供だった。家では家族でパーティーゲームをすることもあり、いつも負けて悔しがっていたのを覚えている。
親の話では3歳頃に自身の持っていたうさぎのぬいぐるみの後ろ姿をスケッチしたことがあるらしい。
寝て起きるとスケッチブックと鉛筆や色鉛筆を持ってリビングでひたすら絵を描いていた。小学校では友達にオリキャラという文化を教えてもらい、そこからオリジナルキャラクターを作ることが日課となっていった。
その頃から自分だけの世界を持っていて、その世界に生きるキャラクターを産み続けていた。

中学・高校時代

千葉県立我孫子東高等学校
中学校では美術部に入り、ひたすら絵を描いていた。特に美術的なことをするような部活動ではなかったので、好きなように絵を描いていた。しかし、友人は何歩先にも進んでいて、その時僕が知らなかったことをたくさん知っていて、その時初めて挫折のようなものを感じ取った。それから未熟だった僕はその時の友人たちと縁を切り、ひたすら独学で絵を学び始めた。それまで二次創作をしてこなかった、知らなかった僕は二次創作にも手を出し、画力向上を目指した。

高校では春休みなどの長い時間を使って画力を高め、そして今度は美術部ではなく、イラスト文芸部という部活に所属した。その部活でまた新しい友人ができ、さらに上を目指そうと思い至った。
友人たちは各々得意ジャンルがあり、そのジャンルにおいては天才的だと僕は思っている。絵が上手いというのもあれば話が上手であったり、考え方が面白いなど。僕にないものを彼女たちはたくさん持っていた。
文化祭に出す出し物で、部活ではイラスト集のようなものを出したり、グッズを作ったりして活動をした。その際に表紙を飾らせてもらったり、また宣伝ポスターを作ったりなど大いに楽しんだ。

大学・専門学校時代

千葉デザイナー学院
元々進路に対して前向きに考えていたわけではなかった。絵が上手くなりたい、ただそれだけだった。作家になりたいという夢を持ち始めたのは、高校時代。マルチクリエイターに憧れた僕は、さまざまなものに手を出した。小説や漫画、ゲーム作成など。世界観を生み出すこと自体は好きだったので、あとは知識と技量次第だと思った。ゲームに関しては何度も挫折をして、もうやめてしまったが、専門学校でゲームサークルに所属してから、またチャレンジしてみようかと考え始めた。
小説を書いて、自分で挿絵や表紙を描いて、それを本として手元に置いておくことこそ、僕の夢なので、足りないものを補うために、それ以上の知識等が得られれば良いなと思い、僕はこの学校を選んだ。