淡路島で父が旅館を経営しており、旅館の二階に住んでいた。当時雑草をよく食べていたため、母親の心配と強靭な胃袋を手に入れた。小学3年生の時に神戸に引っ越し転校。書道、ピアノ、水泳、塾、駅伝、陸上、などの習い事を並行することで、運動神経と知能指数が一気に上昇した。
中学受験で第一志望に合格。中学では女子バスケットボール部を設立、キャプテンを務める。成績は常に最下位争いを繰り広げるような人間であったが、好きな人と同じクラスになるためという下心満点の理由により、3ヶ月で学年9位まで上り詰めた。
そのままエスカレーター式に高校へ。高校では廃部寸前のソフトボール部へ入部し、部員集めに奔走することで単独チームを作った。キャプテンとして全てのポジションを守れるよう鍛錬し、主にピッチャーを務めた。脳筋の鏡であるため、中高の6年間で体力テストは首位をキープした。
前期で京都大学を受験したが、見事に落ちて後期の岡山大学に入学。最後の部活チャンスを大好きな野球に使いたいと考え、男子軟式野球部に唯一の女子プレーヤーとして入部した。中四国のリーグでは「肩の弱いライト」として名を轟かせることに成功、引退間際の2ヶ月間はヒットを量産した。
現在は野球部を引退して就職活動に打ち込む傍ら、みんラボの一員として全力投球をモットーに活動している。「今までになかった新しいものを作り出す」という行為が大好き。