佐藤 弘直
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ヒストリー

出身地

北九州市小倉

幼少期の暮らし、体験

おじいちゃんがJR九州の元監督だった事もあり、よくおじいちゃんとキャッチボールを幼い頃からしていた。小学校2年生で野球を始めた。野球は好きだったが練習は嫌いでよくサボっていた。しばらくして仲のいい友達が入ってくれて練習にも行くようになり結果もついてきた。スタメンで出れるようになってからは、とにかくおじいちゃんに褒められたくて頑張った。

中学・高校時代

  • 中学時代は部活動に入らず、小倉リトルシニアというクラブチームに推薦で入った。毎日の練習はきつかった。学校が終わり家に帰宅して着替え、自転車で1時間半かけて練習場まで行き、3時間ほど練習をし、また1時間半かけて家に帰宅するという日常だった。中学時代も練習が嫌でよくサボった。そして思春期だった事もあり、問題を起こし数ヶ月間練習に参加できない時期もあった。どうしようもない僕だったが大津監督という素晴らしい監督の下で野球をして人間的も技術的にも大きく成長する事ができた。2年生からスタメン出場するようになり、3年には全国大会に出場に活躍する事が出来た。
  • 高校時代は自由ケ丘高校に進学し、野球部に入った。少し家から遠く、毎日6時半には起きて通学していた。僕は肩と足には自信があった。2年生からAチームに入っていたがベンチ入りすることは無かった。結局一度もベンチ入りする事が出来ず高校野球が終わってしまった。3年の頃には選手であったが自分が上手くなる事より、チームが勝つ為に自分にできる事をして甲子園を本気で目指していた。

大学・専門学校時代

西南学院大学に進学し、硬式野球部に所属している。怪我や実力の無さから選手を辞め学生コーチという立場でチームの為に活動している。学生コーチの中でも「データ班」という役職についている。自分本位だった昔の僕からしたらに裏方に回るなど考えられなかった。裏方にまわり、チームがより良くなる為にはどうしたら良いのか考えて常に行動するようになれた。日本一の「データ班」になる為に毎日頑張っている。