茶畑と田んぼに囲まれた八女の地で、祖父の代から事業を営む両親のもと、2人の兄と姉のいる末っ子として生まれる。
恵まれた幼少期だったと思う。田舎町とはいえ裕福な家庭だった。大きな家に立派な車。社長という肩書きを持つ父。そして優秀な兄妹。小学校に入学すると田舎町ならではの「甲木家の末っ子」というレッテルを貼られまくった。
当時は「コンプレックス」の塊だった。常に優秀な兄妹と比較され、幼少期に母から言われ続けた「なんでお兄ちゃんたちと同じように普通に出来ないの?」という台詞は、殻を破った今となっては良い笑い話。
大人びた無常観みたいなものを心に抱いていた幼少期だった。
中学時代はサッカーに明け暮れたものの、傷ついた少年の心の矛先は社会(大人)への反抗という形で、アイデンティティを保とうと必死になった。素行の悪さや暴力沙汰、問題行動で親が学校に呼び出されることもしばしば。
入学した公立高校は警察沙汰で退学。私立高校への編入という形で現役卒業できた。今は亡き父が夜中の警察署まで身柄の引き取りに来てくれて「タバコ1本くれ」と言われ、2人でタバコ吸いながら「ごめん」とも「ありがとう」とも言えず、家路についたことも良い思い出。
常に両親含む社会・大人への反抗心の塊で、そのエネルギーのぶつけ場所を見つけられないでいた。
高校2年のときに経営者だった父を亡くし、「このままじゃいかん」と思い入学した大学生活。
大学2年、たまたま履修していた講義で「稲盛和夫さん」のDVDを拝見し、「こんな経営者になろう」と心に決めた。一気に「仕事・人生・生き方」みたいな世界に心の奥底からかっこ良さを感じて、のめり込んだ。
アルバイトでも副店長として、販促の営業表彰を受けた。確か売上200億くらいの企業だったけど、社長やメーカーの担当者が「君が噂の甲木君か」と言って挨拶に来てくれた。他にも家業を手伝ったり、国会議員秘書をしたり、「働く」ということを通して、自分の生き方や生き様を磨きたいと必死になっていた。
卒業の頃には、「経営者になりたいわけではなく、経営者たれる人間になりたい」と生意気にも哲学っぽく夢を語っていた。
新卒でブライダルのIKK株式会社へ入社。
決め手は金子和斗志という圧倒的経営者。
衝撃だった。「経営者ってこんなにも強烈にかっこいい生き方なのか・・・」って。
そんな金子社長が率いるIKKには、数え切れない凄い人が山ほどいた。
学生時代に一定の自信をつけて天狗になっていた私に、まさに「井の中の蛙」という言葉がぴったりすぎると思える先輩や上司との出逢いが山ほどあった。IKKは私にとって「人生を磨いてくれた場所」。
2018年7月
心から大好きだったIKKを退職し、家業である株式会社ニシコーフードサービスへ入社。
一族経営の壁にぶち当たりながら、今までの人生で積上げてきた価値観と、「経営者として親父を越え、自分の人生をもって恩返しをする」という人生Visionに向けて奮闘中。