船岡 佳生
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ヒストリー

出身地

東京都三鷹市

幼少期の暮らし、体験

発育が遅く、幼稚園の年少には行かせてもらえず年中から通った。一人っ子なのもあり、他人とのコミュニュケーションの仕方がわからなかったが、なんとなく溶け込むことに成功??

三鷹第四小学校に入学し、少年野球チームに入る。野球は2番セカンドをしていた。野球での経験はいい思い出も悪い思い出もあったが今を支える貴重な経験であった。

中学・高校時代

成蹊高等学校 2016年卒業

中学校は受験に失敗したという思い込みから特にやりたいこともなく過ごしてしまう。

が高校で卓球部の活動に精を出し、自分が変わったように思う。毎日朝練を一人でしたり、冬に校内合宿を自分で企画した。高年次になり、部長になると如何に部員に充実した楽しい部活とするか?に重きを置き活動した。部活の機能として学校生活で教室では学べない学びをするところだと思い、上手い人から初心者までどのようにしたら質の高い部活での学びの楽しみを感じてもらうかを意識して工夫した。

進路として飛行機に興味を抱き、理系を選択。物理を好んでいた。

大学・専門学校時代

九州大学 2020年卒業

18年間東京で過ごして来たので地方に出て大学生活を過ごしたかったので航空工学科がある九州大学を選択。福岡で一人暮らしを始める。

一年生 とりあえず飛行機が好きだという原動力から、九州大学鳥人間チームと九大航空部に入る。航空部の方ではグライダーの練習免許を取り空を飛ぶ練習をした。とても幸せだった。後期で九州大学決断科学センターが開催する総合授業をとる。フィールドワークを盛んにする授業で人生が変わった。大分県佐伯市を見に行ったり、味噌造りや、産婦人科見学をするうちに工学だけ学んでいてはダメだと思う。人生が変わった大事な時期で、以後学問の学際性などを意識するようになる。

二年生 アメリカのSan Jose州立大学へ5週間の留学をする。英語ももちろんだが、Silicon Valleyのアントレプレナーシップマインドに触れ強く影響を受けた。

三年生 廃部状態であった九州大学相撲部を復活させないか?と阪大相撲部OBの方の熱烈な勧誘を断りきれず、相撲部の部員第一号となる。全国大会や7帝戦に出場するも圧倒的敗北を期す。その様子をTV番組めんたいワイドやバンキシャにて晒される。鳥人間チームでは電装班の班長となる。主にスケジュール管理と後輩が気持ちよく作業ができるように班長としての役割を果たし、翌年の鳥人間コンテストで滑空機部門で準優勝する。

四年生 熱物質移動研究室に配属され、ガン細胞の交流印加治療法の数値シミュレーション及び実験の研究を行う。

九州大学工学府機械工学専攻に入学するも、学費が尽き一年休学。コロナウイルス もあり学生団体ラジリアの創設。

結局、福岡での進学を諦め、2021年に東京工業大学環境社会理工学院に入学し直し現在に至る。

職歴

2021年2月、日本リベラルアーツ協会を設立。

現在は一般社団法人としての登記の準備中