モリクニ
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ヒストリー

出身地

福岡県

幼少期の暮らし、体験

福岡市箱崎で育つ。父親は韓国、母親は日本のハーフで下には歳の近い妹と弟がいる。昔から家族で仲がいい。小さい頃は兄弟とよく食べ物のことで喧嘩しては父親に殴られてた。近くに住む年配の家族と仲良くなり、家族がらみでご飯を食べたり旅行に行ったりと家族同様の関係。とても居心地がよく自由に育ってきた(笑)保育園に通っていた。明るく活発な性格で、人を喜ばせるのが好きだった。結構自己中な性格でもあり、ことご飯の事に関しては自分が多く食べたい意識が強くよくトラブルの原因になった。小学校でも明るくインドアもアウトドアも両方好きだった。アウトドアに関しては運動神経がよく毎日外で遊んでた。ドッヂボールにハマってて朝6時に当校してドッヂ、昼休みもドッヂみたいな生活を6年続けてた。インドアに関しては、図書室で本を読むのが好きで、偉人伝の様な漫画から星新一の短編集などをよく読んでいた。低学年の頃好きな子が出来たが全く喋ることが出来ず、自分はどうせ出来ないんだとこの頃からネガティブ思考に走るようになる。ただ自信のある事に関してはどんどん前に出る性格だった。小学生時代は色々な事に手を出してきたが、たいがい長続きしないものが多かった。理由はきつい or そこでの人(仲のいい友達があまりいない)に関係していた。公文と水泳はその中でも長く続いた。公文は週3であって、友達や先生とワイワイ喋りながら楽しく続けていた(勉強は好きでも嫌いでもなかったが)。水泳は週4、水中で汗かく程きつかった。続けられた理由は今思うと、仲いい友達多かった水泳好きだった。この経験を通してGRIT力は身についたと思う。小学校中学年で親友ができる。自分と性格はかなり違っていたがなぜかウマが合った。自分と周りの人の価値観にこれほど違いがあるのかと驚いたのを覚えてます。この子の影響で水泳を始めた。ライバルでもあり友達でもありかなり考え方には影響を受けた。変なやつだったけど尊敬してたし、その人の凄い部分に目を向けられるようになった。

中学・高校時代

中学生になって、野球部に入るが知らない人ばかりで人間関係うまく行かずすぐ辞める。その後小学校の友達が多くいたバレー部に入部。もともといじられることが多かったが、段々ひどくなりそこでも人間関係上手くいかない&練習きついでよく続いたなと思う。他の人に辞めた事やいじめられてる事がバレたくない一心で続けてたのかも。仲のいい友達もいたのは心の支えだった。部活を通してGRIT、人間関係の大事さを知る。そのせいもあって仲のいい友達としかつるまなくなる。見える世界が小さくなった。初めての高校受験。必死に勉強した。物事をかなり悲観して見る癖があり、ここで失敗したら人生終了位重く考えていた。無事合格して華やかな高校生活を夢見る。部活はそのままバレーを選択。そこでの人間関係は中学校と違って和みやすかったが、人と喋るのは好きでは無かったので大人しい変なキャラ扱い。それでも中学と比べてましだったので練習は打ち込んで、人間関係はそこそこだった。こんな性格で社会でやっていけるのか不安。大学受験は周りを失望させてしまったというショックが大きくCの性格が大きく出てる。

大学・専門学校時代

大学ではもっと色んな人と関わりたく色んな人と喋るようにして大学デビュー使用としたがそこまで上手くいかなかった。新しいことに挑戦したい重いからダイビングライセンス取得→ダイビングショップで住み込みバイト→紹介で漁師さんの仕事を手伝う、など色々なことを経験させてもらった。そこで人脈の大切さを認識する。繋がりを大事にしたいと思うようになる。学校で学んでいる建築にあまり興味が持てず、就活を考える中でGeekSalonを見つけた。プログラミングは勉強しててとても楽しくかなりコミットしていた。その際はGeekでのコミュニティに馴染めず、1人でもくもくプログラミングしていた。担当のタイガさんには自分が詰まっているときにお世話になり、とても助けられた。もし自分がメンターになれたら受講生のこうした悩みを解決してあげたいと思った。GSDCが終わって、GeekSalonのメンターになる事を決意。大学生のうちに新しい環境に飛び込む最後のチャンスで、そういう環境に身を置くことで自分を高められる&Geekの理想像に共感したから。将来やりたいことはハッキリしていない。だけど今Geekでやってるみたいに考えてすぐに実行できるような環境下で働きたいと思っている。今は他のメンターと比べると、まだまだだけど、これからもっと経験を積んで頼られる存在になりたいと考えてます。

職歴

なし