げんき
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ヒストリー

出身地

宮城県

幼少期の暮らし、体験

幼少時代は本当に人見知りが激しい子供でした(笑)

それに加えて運動音痴でしたが、小学四年生から始めた野球が、そんな僕を変えてくれたと思います。人とのかかわりや礼儀作法をなど、たくさんのことを野球が教えてくれました。

東日本大震災の被災体験を経て、災害の悲惨さや、日ごろの生活へのありがたみが感じられるようになったのはこの頃からです。


中学・高校時代

中学校も順調に野球少年としてすくすくと成長していった僕でしたが、とある転機が訪れます。中学校一年生の時、初めてできた彼女に「真面目すぎてつまんない」といって振られてしまったのです。その翌日から僕は眉毛をガン剃りして、アディダスの白と金のジャージを買って、ヤンキーを目指してとにかく迷走しました。今思えばこの出来事が、よかれ悪かれ人生の大きな転機になったのだと思います。髪型や服装にきちんと気を遣うようになりました。

高校時代は男子校でのびのびと過ごしました。軽音部に入ってバンドごっこをしていたこともあって、激太りしました。男子校はとにかくフリーダムで、一生分の笑いをそこで消費したように思えます(笑)それぐらい楽しかったんです。

大学・専門学校時代

大学はAO入試でわれらが立命館アジア太平洋大学に入学しました。最初は男子校とのギャップに驚かされましたが、今はハビタットに出会って元気にやっています。怠惰で常にやる気のない僕ですが、ハビタットに出会って、ボランティアに行って、ハビタット愛溢れる先輩方やメンバーと触れ合うことで、活力に満ちた大学生活を送れていると思います。宮城→大分というなかなかの距離を移動してきた僕ですが、大学に入って感じるのは、宮城に住んでいて、東日本大震災を経験しているということが、ある種僕のアイデンティティになりつつあるということです。僕は家族を失ったりはしなかったのですが、一応の被災者として、APUや社会におけるマイノリティーであるという自覚をもって、災害の恐ろしさを後世に残していく必要性を最近は非常に強く感じています。