他の女の子達よりも成長が早く、華々しい時代でした。
知識の吸収が早く、背もぐんぐん伸び、6歳のお遊戯会では魔女のおばあさん役を務め、長い台詞を暗記しました。
ヒロイン役にも砂糖の妖精役にもジャンケンで大敗し、誰も演じたがらない余りものの役でした。
みじめな気持ちでしたが終わってみれば、母からも園長先生からも祖父からも、「立派だったよ」と頭を撫でてもらえたので良い思い出となっています。
人生なにが起こるかわからないものですね。
幼稚園の時に初めてそれを実感した気がします。
さいたま市立内谷中学校
毎年冬になると、体育の授業で3kmを走らされました。
体力がなかったので走りきるのも大変でした。
みすぼらしい自分をクラスメイトに知られるのが嫌で、私は打開策を考案しました。
塾の友達と共に毎週日曜日の早朝、隣駅の公園までランニングする約束をしたのです。
やはり、長距離を走ることに慣れる以外、道はない!
せっかくの休みの日なのに温かい布団を抜けて、朝日も昇らぬうちに集合場所まで歩いていく度に、「どうしてこんな約束をしたのだろう」と後悔していました。
しかし、ゆっくり自分のペースで6kmほど走った後は頭がずいぶんはっきりしていて気持ちよかったのです。これだけは否めません。
帰り道を走る頃には朝日はすっかり昇っていて、また一日が始まっています。
東の空にはまだ夜の色が残っていて、仕事を終えた月が眠る準備をしていました。
とても満ち足りた気分になりながら、家の玄関を通るのです。
さいたま市立浦和高等学校
思い出に残るのは二年生の時のシンガポール修学旅行です。
後にも先にも外国を訪れたのはこの一回のみです。
初めての飛行機、初めての海外。
何もかもが未知!胸が躍るとはまさにこのこと!
南中した太陽から降り注ぐ日光のなんと強いことか。
地に立つ我々をこんがり焼いてやるとでも言いたげです。
異国の都市ではしゃぐクラスメイト達の笑顔のなんとさわやかなことか。
受験も成績も一週間後の期末テストもすべて忘れて、ずっと笑っていたかった。
しかし私たちは海を越えて遊びに行ったわけではないのです。学を修めに来たのです。
それを実感する瞬間がやってきます。
クラスで水族館へ訪れた際、友達が売店でお土産を購入しました。
ふいに店員の方が、こちらも一緒に購入してはいかがですか?と言うように、レジスターの前に飾っているキーホルダーを示します。
返答に戸惑っている友達の代わりに、私は物は試しと口を開きました。
"She doesn't have 20 $."
彼女にはそれを買うお金がないんです。
すると店員の方は
"Ah, O.K."
と頷きレシートを切りました。
「ねえやばいやばい、英語通じちゃったよ」
外国に来て初めて主語と述語と目的語が含まれた正しい一文を口にしました。そのうえ私のカタカナ英語が現地の方に通用した!
もう嬉しさのあまり、帰国してからというものの、親にも祖父母にも塾の先生にもこの話をしました。
普段教科書や参考書などの二次元の媒体でしか感じられない、母国語とは異なる言語。
なんとそれらは、実際に使用することができるのです!
そんなこと当たり前だろうと思われるかもしれません。
しかし見たり聞いたりすることと、私自身が話すことには大きな違いがあると思うのです。
やはり「経験」は私を構成する大切な要素になります。
自信がなくても恥ずかしくても、大きなデメリットが生まれないのなら一歩を踏み出すと良いでしょう。これを忘れずに。
学習院大学
文学部ドイツ語圏文化学科に在籍しています。
ドイツ語は文字や音など一から学び、ドイツ語圏の過去から現在に至るまでの文化や経済、環境問題、戦争などに見聞を広めています。
どれも理解するには容易ではありませんが、知識が増えることを楽しんでいます。
いつか学科の友人たちと共にドイツやオーストリアを歩いて回りたいです。
道順を尋ねたり、一杯のコーヒーを注文したり、オペラを観劇したり。
人の移動が誰にも迷惑をかけない安全な世界になり、
自分が学んだことが活かされる喜びを、友と共有できる日を願っています。
大学一年の春から塾で講師を勤めています。
現時点では小学生に算数を、中学生に英語を、高校生に現代文を教えています。
今までは自分が教えられる立場でしたが、今度は逆になりました。
彼らに、満足できる学習ができたと思ってもらえるような導きを施すことが目標です。
あくまでも彼ら自身が学ぶのであり、私は支えるだけであるべきです。
感情的になりすぎず、喜びも反省も分かち合って、彼らの成長を見守りたいと思います。