はるか
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ヒストリー

出身地

大阪府 岸和田市

幼少期の暮らし、体験

小さい頃は特に自分が何かしたかったわけでもなく、周りに流されていたのですが、今になって振り返ってみると、今取り組んでいることのほとんどのきっかけは幼少時代にありました。

まずは剣道です。今でもずっと続けていますが、道場に通い始めたのが小5の時でした。これが高校の時に大きな意味を持つようになるとは、当時は想像もしてませんでした。

次に英語です。現在国際学部に所属していて、今となっては英語を使わない日なんて無いというほどに英語が生活に浸透していますが、英会話に通い始めたのが小2の時でした。

最後に国際協力です。今国際ボランティア団体に所属して活動しているのですが、実はその原動力となっているのが、幼稚園の時に見た1枚の写真でした。僕が通っていた幼稚園はカトリックで、教会もあり、毎日お祈りをしたり聖書の物語の読み聞かせをしてもらう時間がありました。当時イラク戦争が勃発していて、その話を聴いたりお祈りしたりしていました。そのときに見たのが、当時の僕と同い年くらいの男の子が立っている写真でした。腹は風船のように膨らんでいるのに、手足は棒のように細かったのです。栄養失調が進むと腹に水が溜まってポッコリと出てくるそうです。その写真を見たときの衝撃は今でもはっきり思い出せます。生まれた場所が違うだけで、その子はその日食べるご飯に困っているんだって、幼いながら不平等について深く考えてました。

その当時は何も考えて無かったのですが、今思うと無駄なことなんて何もなかったんだな〜って思いました。機会を与えてくれた両親に感謝です。

中学・高校時代

桃山学院高等学校 2018年卒業

中学生活

通っていた中学生があまり頭の良い学校ではなかったので、高校受験に怯えながら勉強していたのを覚えてます。まぁ、宿題はやる意味がわからず高2ぐらいまでは全然したことなかったんですけどね(笑)

部活は剣道しか出来なかったので剣道部に入ったのですが、なぜか僕の代から強豪校になり、地区大会では常勝軍団になっていたのですが、僕には体力がなく、あまり練習についていけなかったので、補欠争いをするような立ち位置でした。そして中3のときに顧問と相談して受験勉強に本腰を入れるために塾を優先するようになりました。今でも、せっかく強豪校で練習ができたのに勿体なかったなと思うときがあります。それから、高校受験では失敗することなくいけたのですが、中学の部活の引退試合の負けかたが気に食わずめちゃくちゃ悔しかったので、高校でも続けることになりました。

高校生活

高校は国際コースのところに入ったのですが、色んな変わった友達に出会いました。しょーもないことに全力を注ぐ友達、楽曲制作したりしてやたら音楽に詳しい友達、絵が上手くて芸術に関心がある友達、好きなこと(ヒップホップ)を貫く友達、文系のくせに学年共通のテストの数学で一位になる友達、、、、こういう変人たちに囲まれて影響を受けに受けまくりました。彼らからは「常識」の無力さを教わりました。簡単に言うと捻くれました。メビウスの輪くらいに。

部活はそれほど強くないところで、最初は物足りなさがずっとあったのですが、ひょんなことで立て続けに怪我をして、2年の夏休みが終わるまでリハビリに通ったりしてまともに練習に出れずにいました。その間、もう二度と怪我をしたくないという思いから、スポーツの怪我やその応急処置、さらに体の構造や筋肉の仕組み、効率的な休憩のとり方など広く浅く勉強しました。それらの知識は現在の趣味の筋トレで大いに役に立っています。

復帰してからは全力でした。中学の時のような悔しい思いはしたくない一心で毎日100%でした。部活一筋にすることで周りに文句言われたく無かったので、勉強も頑張りました。この頃から今まで宿題忘れたことは一度もありません。影の努力も怠りませんでした。頑張ったら頑張った分だけ強くなるし、周りの人との雰囲気も変わるし、何よりも充実していた実感がありました。高校時代では何よりも努力の大切さを学びました。間違いなくここが人生のターニングポイントのひとつだと言えるでしょう。

大学・専門学校時代

近畿大学

大学生活

大学は現在進行形なのでまだなんとも言えませんが、1年間アメリカでの留学を通して、文字通り苦楽を共にした仲間が出来ました。その1年間は今までの人生で1番の挑戦的な1年でした。詳しく書けばもっと長くなるのですが、簡単に言うと困難に立ち向かうための勇気と自信を身につけました。あんなことが出来たのなら大抵のことは楽勝だろうという気持ちで、多少の余裕が持てるようになりました。 今のところはこんな感じです。