とても記憶に残っています。
砂遊びや絵を描くことが好きだった幼少期。
毎日何かモチーフを探して創作活動をしていた。
どうやったらもっとリアルに作れるのかなぁと、毎日胸が高鳴っていた。
遊びのレパートリーは「絵」「砂遊び」「粘土」「おままごと」。
今でも同じことは、何かを創造したり、演じたりすることが大好きであること。
芸術が好きなのはこの時から変わらない。
また、ある瞬間をよく覚えている。
自我が目覚めた瞬間である。
ある日のお昼過ぎ、鳥かごの前で思ったこと。
「この一瞬一瞬を大切にしないと、生きていて後悔する。毎日自分を省みて、生きたいように生きたい。」
この瞬間のことを、よく記憶しておかなくてはと思った。
今でも鮮明に覚えている。
私は「部活」「勉強」の2つを重要視して高校を選択した。
「部活」٠٠٠私は中学生でソフトテニスを始めた。理由は運動が苦手だったからということ、父親に薦められ興味があったということ。運動音痴なので全く上手く打てず悩んだ。そこで、私は毎日父親と練習し、だんだんとプレーに自信が持てるようになっていった。練習していると、他のプレイヤーに声をかけられたり、こちらから話しかけたりして、テニス仲間も沢山できた。色々な人と交流を持ち、多様なプレーを学びながら日々反省と改善を繰り返し、3年生では目標だった県大会まで行くことができた。努力すれば結果が出てくることを知った。高校でもより高みを目指したい、私の力を試したいと思い、テニスに力を入れている高校を探した。川根高校では、毎日辛いトレーニングを行った。夏休みは3日。毎日テニスのことで頭がいっぱいだった。中学とは違い、高校でもソフトテニスを続けている人は、経験者が圧倒的に多く、勝つことが難しくなっていた。校内ではレギュラー争いは当たり前で日々緊張していた。スランプに突入し、自己嫌悪に陥ることも沢山あった。しかし、甘えているわけにもいかず、日々追い込みをしていく。上級生になると、自分ではなくチーム全体をみるようになっていた。少人数の部活だったので、後輩のケアやコミュニケーションを大切にした。気がつくと少しずつ自分に自信が持てるようにもなってきて、私らしいプレーも見えてくるようになった。最後の大会でも、とても緊張したが得意のショットを打てた時はスッキリとした。私は部活を通して何度も自分の弱みを見た。そして、まだ完全ではなくとも、対処法も自分なりに見つけていった。今思うと、高校初のシャトルランは60回だった人間が、3年生で100を越えるまでになるくらい追い込まれていたのだと笑ってしまう。確実に部活は、今の私のアイデンティティを作っている最も大きいことだったと思う。
「勉強」٠٠٠私は経済的な事情もあり、県内の国公立に絞られていた。そのため、中学生の時から静岡大学に入り、教育学部の美術専修でアートを学ぼうと決めていた。中学生の時は学級委員をやっていたこともあり、他人から見られ方を非常に意識していたため、勉強に力を入れていた。川根高校はほぼマンツーマンのような環境で一人一人丁寧に対応してくれる高校だった。高校見学の時に授業風景を見たり、直接生徒さんや先生方によく話を聞いたところ、自分のペースで効率的に学習できると考え入学を決めた。部活に力を入れていたため、帰宅後そのまま寝てしまうことなどもあった。少しずつ環境に適応しようと努力し、自分なりの勉強方法を模索した。今考えると、他にも方法が沢山思い浮かぶ。知識に関しては、まだまだ不十分であり、社会で活躍するにはより多くのことを学ばなくてはいけないと日々考える。残りの大学生活、また社会人になってからも様々なことに興味を持ち、毎日学びのある生き方をしていきたい。