濵﨑 陽菜
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ヒストリー

出身地

鹿児島県鹿児島市

幼少期の暮らし、体験

私は、負けず嫌いで、何でも真剣に取り組む子だったみたいです。 

幼稚園児(年長)の頃、同い年の男の子と年下の男の子が補助なし自転車に乗って遊んでいるのを見て幼稚園児ながらに悔しい思いをしたのを覚えています。そして、二人に追いつくため膝が血まみれになっていることにも気づかず練習していたらなんと…

半日で乗れるようになっていたみたいです!🚲乗れるようになってからは毎日乗り回してました。勢い余って壁に衝突したのも今ではいい思い出です!

また、父の転勤で種子島と福岡にも住んでいました。自然豊かなところから都会へのギャップはすごかったですが、どんな環境でも過ごしていけるのはこの頃の経験があるからだと思います! 

そして、習い事もたくさんしていました。(サッカー、バドミントン、水泳、ソフトボール、ピアノ、硬筆)転勤の関係で長続きさせることができなかったのですが全てにおいて負けるのが本当にイヤでした。ただ、ピアノだけは苦手でした笑

中学・高校時代

中学校では野球部に入りました。チームメイトに女子おらず、男子の中で活動していました。中学生で感じたことは周りの支えです。部活動で活動をしているとき、家族の支えはもちろん、部員のご父兄の方々にもとても気にかけていただき、一人だと感じることがほとんどありませんでした。

高校生になると考えたとき勉強だけでなく部活動もしたいと思いました。また高校からは違う競技をしてみたいと思っていたため、鹿児島市内の高校にある部活動を調べました。その時にホッケーという競技を知り、調べ、やってみたいと思うようになりました。そこからは受験勉強を頑張りホッケー部のある武岡台高校に受かることができました。

高校時代は、思い返せば毎日が楽しかったです。勉強も部活動も一生懸命になれたからだと思います!特に部活動の3年間。日焼け止めも塗らず真っ黒になりながら週7の厳しい練習を乗り越えました!また、同期と試合中ケンカしたり(顧問から本当に仲が悪い学年だと言われてました)、下級生と壁越しでケンカしたり(笑)、遠征先でのハプニングや季節ごとのイベントなど練習だけでなく練習以外も充実していて本当にある意味濃い3年間でした。

大学・専門学校時代

ホッケー部に入った理由は他の部員とは異なります。私が高校生の頃、鹿児島に合宿に来ていた学習院大学ホッケー部の方々が本当に楽しそうにホッケーしていました。その時大学でもホッケーを続けるか迷っていたのですが、監督や先輩方と話す機会があり徐々に一緒にホッケーをしてみたいと思うようになりました。一緒にホッケーがしたいと思ってからは両親に上京の許可をしてもらうために毎日お願いしたり、学校に入るために受験勉強をしたりしました。無事に合格できたときは嬉しかったです。

入学してからは、一人暮らししながら勉強もホッケーも頑張っています!ホッケーにおいては悔しいこと嬉しいことがたくさんありました。けれど、とても優しく頼りになる先輩方、おもしろくてホッケー大好きな同期、かわいくて成長が著しい後輩に囲まれながらホッケーを楽しんでいます!