清水綺乃
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ヒストリー

出身地

神奈川県

幼少期の暮らし、体験

人見知り。
初めて会った子や久しぶりに会う子とはなかなか話すことができず、ずっと母親の後ろに隠れていた。帰る直前になって急に緊張が解けるので、せっかく話せるようになったのに別れるせいで次会う時にはまた話せないを繰り返していた。

活発的。
小学生になると、学校からかえってくると近所の子とゲームしたり、サッカーしたりと今までの人生で1番活発的に過ごしていた。委員会は図書委員会や修学旅行委員会、美化委員会などいろんなことをやってみたくて様々な委員会に挑戦していた。

中学・高校時代

中学では友達が誘ってくれたこと、音楽が好きだったことが理由で吹奏楽部に入部しフルートを担当。楽器なんて触ったことがなかったため、全て1から学ばなくてはいけなくて、わからないことだらけなのに先輩はコンクールの練習で全然居なくて、ひたすら出された課題と基礎練習をしていた。勉強においても小学校とは大きく変わり、部活も勉強も忙しい日々を過ごしていた。2年生に上がる頃、自分達の代からピッコロ奏者を選ばなければならず、何故だか自分が選ばれる。半年後に控えたコンクールに慣れない楽器で出なければいけないことや、コンクール曲の課題曲・自由曲の両方にソロがあることでひたすら悩む。悩み続けた結果「なんとかなる」と思い始め、楽観的に考えるようになる。多分自分の楽観的なところの始まりはここ。その後、3年生になってからも、「なんとかなる」と思っていたおかげかコンクール含め、本番も前に比べ緊張せずに挑むことができた。

高校では、入り部活がなかったことや、なんとなくダンスが好きだからという理由でダンス部に入部。運動神経が悪い上に体力がなかった自分は短い部活時間でも部活をやり切るのに精一杯だった。辛いこともたくさんあったけど、それ以上に楽しくて、みんなで1つのものを創り上げた時の達成感を感じ、この時自分は大人数で何かをすることが好きなのかなと思った。進路を決める時に、どの学部もやりたいことがないなと思い、どうせなら今まで全く触れたことない心理学部にしてみようと思い、心理学部に進むことを決めた。

こうして思い返すと、自分は何か選択するのに「なんとなく」で決めているなと感じた。

大学・専門学校時代

大学に入る年にコロナが流行ったせいで、何もわからない状態でなんとなく大学生活が始まる。慣れないパソコンで受ける授業や、書いたこともないレポートに1人で取り組まなければならず、自分がやってることが合ってるのか間違ってるのかもわからなかった。
2年になってからは少しづつ対面授業が増え、大学での友達もできた。大学の友達は「短時間でこんなに仲良くなれるんだ!」と思うことが多くて、みんな優しくてノリのいい人で、何か趣味があったり、話が合う人が多いあたり本当に「類は友を呼ぶ」だなと思っている。
3年からは忙しくなるけど、今までの分も充実した生活を送りたいなと思っています!!