柴田真衣
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

幼稚園・小学校時代
父が旅行が好きだったため、幼いころからいろいろなところに行く経験がありました。3歳のときに行った広島で、お好み焼き屋さんに入ったことは特に覚えています。その経験があったからか、今でもお好み焼きが大好きです。

小学校のときはピアノ、書道、水泳、体操を習っていました。こんなに通わせてもらって贅沢だったなと思っています。特にピアノや書道は、自分の集中力を鍛えることにつながっているので良い経験だったと思います。
放課後は習い事ばっかりでしたが、時間があればテレビドラマを見ていました。医療ドラマが特に好きで、当時は医者になりたいと思っていました。ドクターXは第一期から見ていました。大門未知子は私の憧れです。

自由研究は毎年旅行で行った場所にまつわる事柄を取り上げていました。
小学校のときの自由研究→彦根城について、断層について、ダムについて、群馬県について、とかだったかなぁ


中学・高校時代

東京都立小金井北高等学校 2022年卒業
中学時代
仮入部で「なんだこれ、管楽器面白すぎでは」と思い、吹奏楽部に入りました。一年間トロンボーンを吹いていました。同期でユーフォニアムを吹いていた男の子が全然練習しないということで、私は2年からユーフォニアムに指名され、吹き始めました。2年の9月からは部長になり、「とにかく楽しく」をモットーに活動していました。特に3年の夏のコンクール練習は思い出に残っていて、毎日「楽しい、練習楽しい!」と思いながら活動していました。こんなに楽しくできたのも、自由にやらせてくれた顧問のおかげだと思います。

3年間委員会はほとんど学級委員会に入っていました。朝の会、帰りの会を仕切ったり、学年イベントを計画したり、様々な経験が楽しく勉強になるものでした。

高校時代
また吹奏楽部に入りました。高校では打楽器をやりました。偶然同じパートの同期の子と音楽の趣味とノリが合ったため、初め少し遠かった距離もすぐ縮まりました。彼女とは永遠に話せる仲です。先輩とも仲が良く、パート練習は最強に楽しい時間でした。

私の高校は2年生でクラス替えがあります。ちょうど2020年がクラス替えの年だったので、新クラスの始まりはとてもぎこちなかったです。みんなマスクで顔を覚えられないし、初めは半分の人としか会えない。なんてこったと思いました。合唱祭、体育祭、文化祭、修学旅行を潰されました。中止が続きすぎて大事なものを潰されることには慣れてしまいました。

こんなことがありながらも、自分なりにJKを全力で楽しんできたと思います。
3年生ではなんとか行事ができるようになり、体育祭や文化祭では恐ろしいほど写真を撮った記憶があります。なぜかわかりませんが、卒業アルバムに「みんなのママ」と書いてありました。

大学・専門学校時代

東北大学
なぜ地球科学系に入ったのか
父の影響で、小学校のころから地球科学に興味がありました。(過去の自由研究のテーマで断層、内帯と外帯、浅間山を扱ったくらいです)

大学で地球科学をやる決め手となったのは、高校1年の夏に行った城ヶ島巡検です。実習にきていた卒業生の方が企画してくれ、城ヶ島の地層や断層を見て歩きました。この経験から、地球科学を学問として学びたいと思い始めました。高校に地学の先生はいなかったので、卒業生の方にメールで質問したり関連する書籍を読んだりして、勝手に勉強していました。

東北大学に決めた理由はいろんなことができるからです。私は火山(特に海底火山)が好きです。でも活断層にも自然地理にも興味があります。変成岩も面白そうだとか思っています。高校時代、大学を調べていたら父に「東北大とかどうなの?」と言われ、全く考えていなかった(なぜならレベルが高すぎるから)東北大について知ってみようと思いました。調べた感想は「この大学なんでもやってるじゃん」。ここでなら自分のやりたいことがなんでもできそうだと感じ、東北大を受けようと思いました。

現在
Pompadourではリーダー会の運営長を務めています。1年でまだぴよぴよですが、先輩や同期の力を借りながら頑張っています。