永田 飛鳥
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

鹿児島

幼少期の暮らし、体験

親の方針で幼稚園には年長から通い、ほとんどの時間を祖父母、両親と過ごしていました。

正直この時期に考えていたことは、プリキュアになりたいくらいです(笑)

祖父母から溺愛されていたこともあり、このころから注目をあびることが大好きでした。

中学・高校時代

鹿児島県立鹿児島中央高等学校

中学校は、同じ小学校の友達がおらず転入生扱いでした。

入学式に、私だけみんなの前で自己紹介をして、「新入生なのになんで私だけ?!」と、戸惑いました。上下関係がものすごく厳しい中学校で、先輩との関わり方に悩むこともありました。その経験のおかげで、コミュニケーション能力と環境に順応しながらも、自分の軸は曲げずに第一志望だった高校に入学することができました。

高校は、とにかく楽しかったです。JKという響きにあこがれていたこともあり、友達とならなんでもできる。最強だと思っていました。高校生活の一瞬一瞬が愛おしいです。

高校2年生の時に、NYに2週間だけ留学しました。あえて団体で頼まず、個人で参加しました。刺激的な毎日で、なにもかもがキラキラしていました。もっと、英語を使って、いろんなことを知りたい!そう強く思い、明治大学の国際日本学部を志望し、めちゃくちゃ勉強しました。そこまで頭がよくもなくかといってものすごく悪いわけでもありませんでした。

高3の頃は毎朝6時半には登校し、(空いてた学校もすごい)自習した後、九州地域ではお馴染みの”0限”に出席しました。

あの時、めちゃくちゃ努力したことが成功体験として自信につながっています。

大学・専門学校時代

明治大学

上京して、夢にまでみた大学生活は自分の想像をはるかに超えていました。

大学=勉強するところと思っていましたが、高校までのように与えられた知識を覚えるだけでなく、それに対して自分の考えに落とし込むというのが最初はわからず難しかったです。ですが、様々なニュースや課題に対して自分の喜怒哀楽を用いながら理解することで自分事としてとらえられるようになりました。

学生団体もサークルも直感で入りましたが、入ろうと決意した自分をほめたたえたいくらい入って正解でした!だけど、自分のした選択を正解にできた行動をとれたから、今充実した大学生活を送れていると思っています。