帆足 心
フォロー コンタクト

ヒストリー

出身地

福岡県北九州市

幼少期の暮らし、体験

​​​​幼稚園の時に両親が離婚し、母方の実家で暮らしていました。
小学3年生になるまでの間、毎月一度だけ父に会う機会があり、会う時はいつもゲームをして遊んでいました。遊び終わって父が母方家に車で送るとき、父に抱っこして家に運んでもらうためにいつも嘘寝入りしていたそうです笑
その時は家族で一緒にゲームを遊んでくれたのが父だけだったので、甘えたい気持ちが強かったのかなと思います。

小学3年生で感音性難聴を発症し、5年生で空手を習い始めました。だんだんと聴力が落ちていった当時は、それまで当たり前に出来ていたことが出来なくなっていく自分が不安でした。
​この頃は学校が終わるといつも友達とゲームやサッカーをして遅くまで遊んでいました。宿題より遊びを優先して、よく親に怒られていた記憶があります笑

中学・高校時代

福岡県立八幡南高等学校 2021年卒業
中学時代は空手に打ち込みつつ学校ではバスケ部に所属し、勉強も頑張りました。
​運動はからっきしでしたが、勉強では友達と切磋琢磨して競い合うのが楽しかったです。

高校時代は自分から話しかけて周りに馴染むことがあまりできず、また1年生の秋に突発性難聴にかかり耳が全く聴こえなくなりました。
右耳のみ人工内耳手術を受けてなんとか聴力を取り戻しましたが、手術の後遺症で起立性調節障害という病気を発症し、半年間まともに学校へ通うことができませんでした..身体面、精神面で支えてくれた家族や先生方の力があり、3年生に上がる頃には体調が回復していました。
​高校1年生で人工内耳手術を受けたとき、入院中に絵の模写をしていたのですが、看護師さんが「上手ですね」と言ってくださって、それがすごく嬉しかったのを覚えています。
また起立性調節障害にかかり学校に行けなかった時期に、描いたイラストをSNSに公開するとたくさんの人が見てくれて、初めて難聴という障害に関係なく自分の居場所を感じられた気がしました。
そこから絵に打ち込み練習を重ねる中で、プロのイラストレーターになることを決意しました。

大学・専門学校時代

TECH.C.福岡デザイン&テクノロジー専門学校
2021年に入学しました。
専門学校には今まで通っていた学校にはない自由な校風があり、自分らしくいられる感じがします。

高校では周りの人と思うように馴染めず悔しかったので、入学後は積極的に話しかけることを意識して学校生活を送り、たくさんの友達ができました。
皆んな難聴のことを理解してくれて、会話するときはスマホに文字を打って見せてくれたりするので、とてもありがたいなと思ってます...

また自分が所属するコミイラ専攻では独自に勉強会を作り活動しているので、周りの絵に対する成長意欲が強く、自分もそれに負けないくらいの向上心を持って日々の授業や制作に臨んでいます。
​まだまだ未熟な所も多いですが、専門学校に入学して協調性やコミュニケーションの大切さ、努力を積み重ねる大切さなどたくさんのことを学んでいます。