男三兄弟の末っ子として生まれる。
三人兄弟という事もあり裕福な家庭では無かったが、両親は昔から僕が「やってみたい」と言った事を何でもさせてくれた。
兄の影響で3歳で水泳、5歳でスポーツクラブ、小学校に入学するとフットサル、少林寺、学研教室を習い始める。平日は毎日習い事に通わせてくれていた。
そして小学四年生にあがったタイミングで習い事を辞め、サッカーチームに入団する。
小さい頃から僕は好奇心が旺盛で、いろんな事に興味を持っては、チャレンジする事ができる環境を整えてもらっていた。
このような生き方を選ばせてくれていた両親にはとてもリスペクトしている。
ただ、もちろんこの頃は当たり前のように毎日通っていただけだった。
サッカー部に所属した。この頃にはサッカーが大好きになり、毎日部活中心の日々を送る。
ただ、僕は生まれた頃からあるコンプレックスを持っていた。
成長ホルモン分泌不全性低身長症
僕より小さい同級生を見た事がなかった。かわいいルックスを売りにしていた僕だったが、本当はとても低身長をコンプレックスとしていた。
しかし、サッカーをしている時はそんなことを忘れさせてくれていた。
中学2年の冬
そんな僕に両親は低身長に対する治療をさせてくれた。決して安くない治療費を僕の為に毎月支払ってくれていた。
地元の高校に進学した。(この頃身長148cm)
高校の3年間は大好きなサッカーに没頭する日々だった。決して強豪校とは言えない地元の公立校だった。なかなか、試合にも勝てず辛い時期も沢山あった。
それでも試合で結果を残す為に仲間と本気になってサッカーと向き合った。
僕としては体格差のある相手と対峙することの難しさや繰り返す怪我に悩まされる時期も多かった。
しかし、これらを乗り越えていくうちにサッカーの魅力に気づく。
そしてチームの中心として人生で初めて副キャプテンを務める。この経験で、人の前に立ちまとめる難しさとやりがいを知る
これらのサッカー人生が僕をつよくし、豊かにしてくれた。
これまで、たくさんの医療従事者に助けてもらっていた事もあり看護師を目指す。
入学するもなかなか勉強に気持ちが入らずどこかもどかしい気持ちを抱いていた。
必死にボールを追いかけていた頃のような熱を感じれない日々に虚しさも覚えた。
そんな時にある団体と出会う。
その団体が主催するイベントに参加し、内容はほとんど覚えていないが、同年代の人たちがとてもキラキラして見え、ただただワクワクしていた事を覚えている。
それをキッカケに19歳で人生初めての海外、ネパールにいくことを決める。
『発展途上国』『アジアで最も貧しい国』という言葉の偏見を持ったままネパールに向かった。
ネパールでは現地の孤児院に訪れた。
訪れる前のイメージとしては「親に見放されずっと貧しい暮らしをしている。」「辛い思いをずっとしている。」という偏見と共に「どう接したら良いのだろうか」と言う不安を抱いていた。
しかし、彼らと出会って僅か数秒でそのような不安は恥ずかしいぐらいに必要でないという事を感じた。
「ヘイ、ブラザー!サッカーしよう!」そう言って僕の手を引いてサッカーコートに走った。
地面はガッタガタ。ボロボロにめくれたサッカーボール。手作りのゴール。シューズなんて勿論ない。そんな中でも彼らは心から楽しんでいたし、僕も一緒になって夢中で楽しんでいた。
そして彼らと一緒に夕食を食べた。その日はヤギ肉のカレーライス。彼らからするととっても御馳走であり大喜び。なのに食べ始めると僕たちを見つめ「もっと食べなよ」って分けてくれ、「辛いでしょ?水飲みな」と言ってくれた。
着る物も食べる物も住む場所さえもいつ無くなるかわからない生活をしているのに、彼らは本当につよくて優しかった。分け合うという事を物に溢れた環境にいる僕たちよりはるかに知っていた。
何かを与えようと訪れたはずだったネパールで、僕は彼らから沢山のモノを分けてもらった。
この環境の中で全力でチャレンジしたい!よわい自分と向き合い、自分のつよみを活かしたい!
そんな思いでNPO団体KEYを設立する。
学業の多重課題をこなしながらもそれぞれの想いを持った仲間と活動を続ける。
看護学生として病院実習や国家試験対策、看護研究など本格的に看護師になるために動き出した為、なかなか団体として主体的に活動出来なくなる。
そんな中で自分のしたい事、そして社会に対して自分にできる事は何かを考え学習中
一人ひとりの健康維持・増進と夢の実現をサポートする!
NPO団体KEY 役員