かなりの目立ちたがり屋でいつもふざけてはみんなに迷惑をかけていた。悪ガキでしたね。
保育園ではプラレールの取り合いで相手の頭や耳をかじるほどの喧嘩をしたり、家族で出かけているときの車の中で親が好きな音楽のイントロドンを勝手にしていたり。人と違うことを求め生活していました。
それまで身体を動かす事をしてこなくて、中学でハンドボールという競技に熱中、ここでも自分のふざける気持ちでいろいろな事件が起こしていましたが、初めて努力を覚え、チームスポーツの中で論理的に適切な役割を果たしていく。そんな経験が人として大きく成長させてくれました。
高校では話上手な点が認められ、委員長や病気で学校に来れない人の話し相手になるなど各行事の企画・進行などもしたりして、高校の生活で今の私の骨格が築かれたと思います。懐かしい青春です。
そもそも教員になりたかった私は教育学ではなく工学部を選んだのです。
それまで人とのかかわりで自分が成長し、いつも周りの人のおかげで生きてこれた。今度は自分がそちらの番、道を作っていく側になろうとしていました。中学校から高校の間でいつのまにかその志に自信がなくなったです。
ある日とあるALSの患者さんと出会ったのです。運よくその相手と連絡を取り、自分の夢について話したことと、彼の人生のお話を聞いて現実を知ることができたのがこれまでの原動力になった気がします。
まだ漠然と、定まることのない大きな目標、人の役に立つ。ですが自分が作ったもので人の人生を変えることができたらいいなと思っています。